2019年08月06日

生死の向かうをみた八月六日から十五日にかけて


四年前の今日、下記の記事に書いたやうに、たしかに、わたしは戦後七十年を境にして、随分内側が変はつた。
 
自分自身の表層意識では意図してゐなかつたことが、自分の内側で進行し出した感がある。
 
さうすると、それまでは、もつともらしく聞こえてゐた事柄の、本質的な「ごまかし」「おためごかし」「ダブルスタンダード」のありやうが、はつきりと見えてきた。
 
まづ、自分の中の何が変はつたかと言つて、それまでの「権力者は悪、政治家は信用ならない、金持ちは貧しい者から富を搾取してゐる、自分たちは弱者で、様々な所で虐げられてゐる」といふやうな被害者根性から抜け出せたことである。
 
その病的な根性は、こざかしさとひとつになつて、思つてもゐないほど深く、わたしに染みついてしまつてゐた。
 

 
 
 

『七十年前の八月六日から十五日にかけて』
 
 
その九日間、わたしたち日本人は何を感じ、考へ、欲して、生きてゐたのだらう。
 
広島に世界最初の原子爆弾がアメリカによつて落とされ、その三日後に長崎にも投下され、その惨状を知りゆきつつ、B29が自分の住んでゐる地の上を飛来してくる音を聴くとき、わたしたち日本人は何を観念したのだらう。
 
それまでの戦争による極度の緊張状態から、さらにひとつもふたつも、奥を観たのではないだらうか。
 
一億の日本人全員が、死刑台の上に上らされてゐるやうな状態の中で・・・。
 
そんなときを、わたしたち日本人は確かに生きたのではないだらうか。
 
たかだか七十年前なのである。
 
 
 
わたしはこの夏、なぜか、二重のこころの生を生きてゐるやうに感じてゐる。
 
夏の陽射しと共に、子どもたちと共に、喜びと共に、毎日を精一杯生きる。
 
そして、それと同時に、七十年前の人たち、とりわけ、戦争によつて亡くなつていつた方々と共に、密かに毎日を生きてゐる感じなのだ。
 
その方々は、どうも、現代のわたしたちとはものの考へ方、感じ方において、随分違つてゐた。
 
彼らの感じてゐたこと、考へてゐたこと、欲してゐたことが、現代人であるわたしたちには分かりにくい、理解しにくいものであつたらしいことを知るにつれて、わたしは生きること、命を持ち、育み、讃えることについて、これまでの戦後社会の中で当たり前のやうに思つてゐたわたしなりの考へ方、感じ方の枠を拡げさせられ、壊されるやうな夏である。
 
七十年といふ月日は、何か特別な働きをわたしに運んでくれてゐるのだらうか。
 
当時の人々のこころのありやうを忖度するのではなく、そのありやうに沿ふことが、これほど困難になつてゐることに、わたしは驚きと共に悲しみを味ははざるをえない。
 
戦後七十年の間に何が日本人の精神のなかに進行したのか。
 
そして、その敗戦後とそれまでの敗戦前の日本のあり方との結節点ともいへる一九四五年八月十五日に、日本人の精神に何が起こつたのか。
 
そのことへの認識を深めることから始めて、わたしはこれからの生を強く明るく照らし続けていきたい。



posted by koji at 08:37 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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