2019年08月05日

こころのこよみ(第15週) 〜子どものやうに生きる〜


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わたしは感じる、
 
まるで、世の輝きの中に、精神が魔法にかけられて織り込まれてゐるやうだ。
 
それはぼんやりとした感官において、
 
わたしのわたしなりであるところを包む。
 
わたしに力を贈るべく、
 
その力を力無き己れに授けるのは、
 
囲ひの中にある、わたしの<わたし>。
 
         ルドルフ・シュタイナー
 
 
Ich fühle wie verzaubert          
Im Weltenschein des Geistes Weben.    
Es hat in Sinnesdumpfheit        
Gehüllt mein Eigenwesen,        
Zu schenken mir die Kraft,        
Die, ohnmächtig sich selbst zu geben,   
Mein Ich in seinen Schranken ist.     
 
 
 
子どもの頃や若者である頃と違つて、わたしたちは歳をとるにしたがつて、自分自身といふもの、わたしの意識といふもの、自意識といふものを、大事にするやうになる。
 
だから、夏になると、それらが魔法にかかつたやうに包まれ、力無く眠りこまされてゐるやうな感覚に陥り、困惑してしまう。
 
わたしのわたしたるところ、わたしの<わたし>が、囲ひの中にあるやうだ。
 
しかし、かうしたありようが、この季節特有の、かりそめのものだといふことを知つてゐるならば、わたしたちは困惑から抜け出ることができる。
 
このぼんやりとしたありやう、焦点が絞られてゐないありやう、それは、大きく広がりをもつた意識であるからこそ、そのやうなありやうなのだ。
 
そして、この意識の大きさ、拡がりからこそ、力が授けられようとしてゐる。
 
だから、ぼんやりとした感官のありようを、思ふ存分、生きればいいのではないか。
 
夏のこの季節、頭ではなく、手足を使ふことで、大いなる世と繋がることに勤しむこと。
 
ある意味、子どものやうに生きること。
 
さうすることで、ぼんやりとしたありやうではあるが、人は大いなる世から力を授かる。
 
たとへ、いま、その力の贈り手であるわたしの<わたし>が、魔法にかけられ、囲ひの中にあるとしても、そのやうに手足をもつて生きることが、来たる秋から冬に向けての備へとなる。
 
わたしの<わたし>が力に満ちたものになりゆく、秋から冬への。
 
 
 
わたしは感じる、
まるで、世の輝きの中に、精神が魔法にかけられて織り込まれてゐるやうだ。
それはぼんやりとした感官において、
わたしのわたしなりであるところを包む。
わたしに力を贈るべく、
その力を力無き己れに授けるのは、
囲ひの中にある、わたしの<わたし>。
 

 
※絵は、「シュタイナー絵画教室 福岡」さんのページから頂きました。


posted by koji at 08:12 | 大阪 ☀ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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