2019年07月28日

生きてゐる心地

  
今日、生徒さんと話しをしてゐて、男性性と女性性の話になつた。
 
女性性のことはともかくも、自分は男性であるので、つい自分に引きつけて、「男性は遠くを見晴るかしながら、先のことを、先のことを、考へてゐるやうに思ふ」と話した。
 
つまり、何かを目指して、目的をもつて、毎日仕事をしていくのが、男性性では、といふ思ひだつた。
 
しかし、その後、よくよく、考へ直してみると、何かの目的をもつて仕事をするといふのは、表層のことで、こころのより深みでは、「生きるために仕事をしてゐる」といふのが本当のところだなと気づく。
 
それは、「生きて行くためにはお金が必要でそのために仕事をする」といふ意味ではなく、仕事してゐなくては生きてゐる心地がしないといふ感覚に近い。
 
自分の場合は、人様に言語造形とアントロポゾフィーからの人間学を伝へるといふことの他、言語造形の稽古と作品創り、そして読書が仕事なのだが、いずれも、手足を使つて汗を流しながらすることなのだ。
 
手足を使つて仕事をしてゐなければ、生きてゐるといふ心地がしない。
 
だから、生きて行くために、毎日、仕事をしてゐる。
 
さういふ仕事をしたいから、さういふ仕事をしてゐる。
 
もし、仕事をしてゐなければ、どんな余計なことを考へ、どんな余計なことにいらつき、どんな余計なことをしでかしてしまふか分からない。
 
そんな感覚だ。
 
目的があるから仕事をするといふのは、少し違ふな。
 
男性性といふ話しではなくなつたのだけれど。



posted by koji at 20:49 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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