二階でわたしが勉強してゐると、学校から帰つてきた次女が早速二階に上がつてくる。
さうして、今月終はりに演じる「高砂」の稽古をする。
ほんの二十分ほどの稽古だが、このことの積み重ねは、どういふ作用を彼女にもたらすだらう。
間違ひないのは、わたし自身の芸術に対する積極性、能動性、創造性のみが、彼女に働きかけるだらうといふこと。
創造する力を子供に望むことはできるが、それを引き起こす方法は教へることはできない。
また、教へるものではない。
こちら側に、その創造性があるか、ないか。
それだけが問題だと思ふ。
知識に知識を重ねて教へ込むことを第一としない。
創造する働き、整へる働き、行為する働きが大切なこと。
しかし、それらの大切さをいくら口で説いてもたいして意味はないやうにも思ふ。
自分自身で悟り知るまで待つこと。
これらのことは、おそらく、わたしの親から受け継いだものだと思ふ。
6月30日(日)言語造形公演『常世の濱の浪の音聞こゆ』
於 山中能舞台
写真は、去年の奈良での公演先でのひとこま。
(撮影:山本美紀子さん)
長女は僕らクラスの仲間が公認学校法人化したシュタイナー学園で9年迄学んで今は東京都採用で公立小の担任をしています。
特に最近はアントロポゾフィー医学の皆さまから学ぶ事が多く、日々驚きです。アントロポゾフィーはお隣の分野からハッと気づかされる事が多々あり、またシュタイナー教育の体験授業で腰を抜かすこと屡々です。
また言語造形について教えて頂きたいなぁ〜と願っております。
娘さん、先生をしてゐるんですね。
コメント、どうもありがたう。