2019年05月29日

己れのこころを護る

 
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ここ数日の、世における様々な出来事に震撼せざるをえない。
 
人のこころは、何かの考へに付け込まれてしまふと、どこまで狂ひ、暴れ廻るものか、知れたものではない。
 
わたしたちは、己れのこころを護らなければならない。
 
しかし、基本的に、外側からやつて来るものに対しては、護りやうがないやうに思はれる。
 
わたしたちは、己れのこころの内側からやつてくるものにこそ用心をして、その害毒に抵抗できる力をつけていくことが、本当のところの護りだと思ふ。
 
昨日、滋賀の『両親の問診時間の会』で参加者の方が、魚類が好きで好きで仕方がない「さかなクン」の話しをしてくれた。
 
そこで、次のやうなことを思ひ出した次第。
 
こころの内に生じる害毒から身を護り、健やかさに立ち戻るための方図のひとつに、わたしは自分の「好き」を想ひ出すといふことをしてゐる。
 
「好き」といふこころの働きを尊重し、こころの内にたいせつに育て上げることが、己がこころを健やかに己れのあるべき場所に立ち戻らせてくれる有効なひとつの薬となりうる。
 
たとへば、他人のちょつとした振る舞ひや、ほんのひとことで、人は、たつたそれだけで、いかに容易く己れを見失つてしまふことだらう。
 
しかし、そんなとき、「自分は、そもそも、何が好きか。何が好きであつたのか」といふひとつの考へを想ひ起こすことができれば、それが人を支へるものになりうること、いくたび深い淵に沈んでしまつても、そこから浮かび上がることができることを、わたしは実感してゐる。
 
仕事といふものは、決して「好き嫌ひ」に従つてしてゐるのではない。
 
しかし、この「好き嫌ひ」といふ感情が、人生の存外深みに流れ続けてゐることは否定しやうがないやうに思ふ。
 
この、人の内にいやおうなく流れ続けてゐる感情の川の流れに沿ふて、山深い川上と海原とを何度でも往復するがよい。
 
何かを、好きで、好きで、それだけを好み通した人生は、人に何を与へ、何を教へてくれるのだらう。
 
理屈では容易に片づけられない、そのやうな性癖をわたしたちは己れのどうしやうもない宿痾と見ることもできる。
 
しかし、また逆に、それを意識的に捉へ直すことによつて、それが、己れを奥深いところで下支へしてくれてゐるありがたい宝物だと見直すこともできるのではないだらうか。




posted by koji at 19:14 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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