


精神の深みからの光の中で、
その場その場で実り豊かに織りなしつつ、
神々の創りたまふものが啓かれる。
その中に、こころそのものが顕れる、
ありありとした世へと広がりつつ、
そして立ち上がりつつ、
狭い己れの内なる力から。
ルドルフ・シュタイナー
Im Lichte, das aus Geistestiefen
Im Räume fruchtbar webend
Der Götter Schaffen offenbart:
In ihm erscheint der Seele Wesen
Geweitet zu dem Weltensein
Und auferstanden
Aus enger Selbstheit Innenmacht.
画家とは、何をする人なんだらう。セザンヌの絵を観て、そのことを考へさせられる。
道楽で絵を描くのではなく、「仕事」として絵を描くとは、どういふことか。
セザンヌのことばによると、「感覚を実現すること」、それが彼にとつて絵を描くことによつてなしていきたいことであり、彼の「仕事」だつた。
彼が強い意欲をもつて、ものを見ようとすればするほど、ものの方が、彼をぢつと見つめる、自然が自然そのものの内に秘めてゐる持続的な、強い、時に巨大な「もの」を彼に流し込んでくる。それはすでに感官(目や耳などの感覚器官)を超えて受信される「もの」である。
そして、自然からのそのやうな「もの」の流れに応じるかのやうに、あまりにも巨大なセザンヌ自身の「こころそのもの」が顕れる。
その場その場の自然から流れ込んでくる「もの」。そして、立ち顕れてくる彼自身の「こころそのもの」。
そのふたつが出会ふとき、そこに、垂直の世が立ち顕れる。
なじみの眼の前に拡がるのは、どこまでも、水平の世であるが、画家がそのやうに見つめるその場その場において、精神の光が豊かに流れ込んでくる垂直の世が立ち顕れるのだ。
その垂直の光景を、キャンバスの上に、色彩で顕わにしろと、彼は自然そのものに求められる。
その求めに応へるのが、「感覚の実現」であらうし、彼の仕事であつた。その求めに応へ続けたのが、彼の生涯だつた。
世は、人に、「その場その場で実り豊かに織りなしつつ神々が創りたまふもの」を啓いてほしいと、希つてゐる。
なぜなら、それによつて、人は、「 狭い己れの内なる力から、ありありとした世へと広がりつつ、自分の足で立ち上がりつつ、自分自身のこころそのものを顕わにする」ことができるからなのだらう。
セザンヌは、そのことを、意識的になさうとした人だと感じる。
精神の深みからの光の中で、
その場その場で実り豊かに織りなしつつ、
神々の創りたまふものが啓かれる。
その中に、こころそのものが顕れる、
ありありとした世へと広がりつつ、
そして立ち上がりつつ、
狭い己れの内なる力から。
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