奈良の三輪山の辺に開花し始めた桜
この時期の、目の前に繰り拡がつてくる現象に酔ふのも人生の喜びであり、悲しみでもある。
しかし、その現象の奥にあるものをしかと見つめるとき、何が見えてくるか。何が聴こえてくるか。
さういふ「ものを観」「ことばを聴く」ためには、まづ、己れみづからの奥にあるものをしかと見つめ、己れみづからの声に耳を澄ます必要がある。
人の<わたし>に語りかける。
みづから力強く立ち上がりつつ、
そしてものものしい力を解き放ちつつ、
世のありありとした繰りなす喜びが語りかける。
「あなたの内に、わたしのいのちを担ひなさい。
魔法の縛りを解いて。
ならば、わたしは、まことの目当てに行きつく」
ルドルフ・シュタイナー
Es spricht zum Menschen-Ich,
Sich machtvoll offenbarend
Und seines Wesens Kraefte loesend,
Des Weltendaseins Werdelust:
In dich mein Leben tragend
Aus seinem Zauberbanne
Erreiche ich mein wahres Ziel.
咲きはじめた桜。他の木々や草花たちのたたずまひ。なんと「ものものしい」までに、活き活きとしてゐることだらう。
明るく暖かな日差しの中で、それぞれの植物が歓声を上げてゐるのが聴こえてくるやうな気がする。
この週の「こよみ」において、「世のありありとした繰りなす喜びが、人の<わたし>に語りかける」とある。
この語りかけを人は聴くことができるだらうか。
2行目に「offenbarend」といふことばがあつて、それを「立ち上がりつつ」と訳してみたが、鈴木一博さんによると、この「offenbaren」は、「春たてる霞の空」や、「風たちぬ」などの「たつ」だと解いてをられる。
「たつ」とはもともと、目に見えないものがなんらかの趣きで開かれる、耳に聴こえないものがなんらかの趣きで顕わに示される、といふ日本語ださうだ。
「春がたつ」のも、「秋がたつ」のも、目には見えないことだが、昔の人は、それを敏感に感じ、いまの大方の人は、それをこよみで知る。
いま、植物から何かが「力強く」「ものものしく」立ち上がつてきてゐる。
人の<わたし>に向かつて、<ことば>を語りかけてきてゐる!
わたしは、それらの<ことば>に耳を傾け、聴くことができるだらうか。
喜びの声、励ましの声、時に悲しみの声、嘆きの声、それらをわたしたち人は聴くことができるだらうか。
それらを人が聴くときに、世は「まことの目当てに行きつく」。
「聴いてもらえた!」といふ喜びだ。
世が、自然が、宇宙が、喜ぶ。
シュタイナーは、「願はくば、人が聴くことを!」といふことばで、晩年の『礎(いしずえ)のことば』といふ作品を終へてゐる。
願はくば、人が、
世の<ことば>を、
生きとし生けるものたちの<ことば>を、
海の<ことば>を、
風の<ことば>を、
大地の<ことば>を、
星の<ことば>を、
子どもたちの<ことば>を、
聴くことを!
人の<わたし>に語りかける。
みづから力強く立ち上がりつつ、
そしてものものしい力を解き放ちつつ、
世のありありとした繰りなす喜びが語りかける。
「あなたの内に、わたしのいのちを担ひなさい。
魔法の縛りを解いて。
ならば、わたしは、まことの目当てに行きつく」
諏訪耕志記
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