琵琶湖の西岸の少し奥に入つた所に鎮座まします近江神宮。
寒の戻りか、とても寒く、小雨降る中、人気も少ない。
ここは、天智天皇の大津宮跡ともいはれてゐる。
壬申の乱の兵火ですべてが灰塵と化し、当時、その華やかだつた都の荒れ果てた様を何十年か後に見て、高市黒人(たけちのくらうど)が旧都を偲んで歌を歌つてゐる。
ささなみの国つみ神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも (萬葉集33)
歌人が歌の念ひに見舞はれた当の地にわたしも実際に足を運んで、そこでその歌を朗唱してみる。
そこにじつと立ち尽くせばこそ、歌に秘められてゐる深い情念が味ははれることがある。
どのやうことがここで起こり、どのやうな悲しみが人々を襲つたのだらう。
また、黒人による別の歌がある。
古(いにしへ)の人に我あれやささなみの古き都を見れば悲しき (萬葉集32)
「古の人」。これは単にむかしの近江の旧都の人といふ意味ではない。
神と己れの身体とがまだ離れてゐない状態を生きた人のこと。
たいせつにしなければならないさういふ人、さういふ精神が失はれていくことを偲びに偲んで、黒人は歌つた。
なぜ、たいせつにしなければならないか。
それは、たいせつにしなければならないものごと、人の想ひ、人の精神ほど、たやすく忘れられてしまふからだ。
さういふものは極めて繊細ななりたちをしてをり、時を経て、志ある人が、その壊れやすさゆゑ、たいせつに護り育て、後代に伝へようとして来た。
そして、そのやうな繊細なものを扱ふことのできる人は、いついつも、極めて少数の限られた人であるかもしれない。
「古の人」とは、いつの代にもをられる、さういふ人のことである。
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