2019年03月04日
まごころから育つ芸術のセンス「風雅(みやび)」
本居宣長は、江戸時代中ごろ、伊勢の国、松坂に生きた国学者だ。
彼は、日本といふ国が、万国に優れた神の国であると述べ続けた。
そんな彼の前に、上田秋成といふ『雨月物語』で有名な作家・国学者が、論争を挑んだ。
その論争は、ことごとく、すれ違ひに終わるのだが、そのうちのひとつとして次のやうなエピソードがある。
秋成が当時のオランダ人が描いた「世界地図を見よ」と宣長に迫つた。
「この図の中に、我が御国はいづこと見れば、ただ、広き池の面にささやかなる一葉のごとき小嶋なりけり」
さう、秋成は言ふ。(ことばを今の人の理解が及びやすいやうに少し変へてゐる)
すると、宣長はにべもなく、かう言ふ。
「地図なんぞを持ち出してきて何の用かある。またオランダ人の論も用なきことなり。万国の地図を見たることをめづらしげにことごとしく言へるも、をかし。そのやうな図、いまどき、誰か見ない者があらうか。また、我が国がすこしも広大な国でないことも、誰か知らない者があらうか。すべて物の尊き卑しき、美し悪しは、形の大小にのみよるものにあらず。大きな石も小さな珠玉にしかず、牛馬かたち大なれども、人にしかず、いかほど広大なる国にても、下の国は下の国なり。狭く小さな国にても、上の国は上の国なり」
ことばは悪いのだが、まるで「馬鹿か、お前は」とでも言つてゐるやうだ。
ここで、これを一読していただいて、誤解が生ずることを恐れるのだが、ただ、人は何かと見た目やレッテルによつてのみ判断を下しがちであることをことごとしく述べたいわけではない。
そこのところの、宣長が生涯貫いたこころと精神を、小林秀雄といふ人は、文章をもつて見事に掬ひ上げてくれた。
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●古傳(いにしへのつたへ)を外部から眺めて、何が見えると言ふのか。その荒唐を言ふより、何も見えぬと、何故正直に言はないか。宣長は、さう言ひたかつたのである。実際、「古事記傳」の注解とは、この古傳の内部に、どこまで深く這入り込めるか、といふ作者の努力の跡なのだ。
(『本居宣長 第四十二章』より)
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こころと精神の眼で見たままのことを信じるには、その前提として、こころの柔らかさ、素直さ、敬虔さが要る。
次に、対象の外側をうろつき回つて証拠を集めて来ることに尽きるのではなく、ものの内側に勇気と愛情をもつて入り込め。
それなくして、いくら、ものごとを精緻に見極めたつもりでも、そのとき、そのこころの眼に映る像は、ぼやけ、歪み、時には何も見えない。
学問とそこに密かに脈打つ芸術のセンスは、「まごころ」をいかに育てて来たかが、たいへん重要なことであり、それなくして、人と人とは語りあへないものだといふこと。
そのことをまたしても考へさせられる。
多くの日本人には、そのセンスがいまだ脈打つてゐるやうに思はれてならない。
ただ、そのセンスは、時間をかけて磨いて行かなければ披かれない、といふ見識が、ここ何十年かの間に失はれて来てしまつてゐるといふことが危惧される。
この芸術のセンス「風雅(みやび)」の感覚を内に再び豊かに育み、外の世界に積極的に発信していきたいものだ。
ふみよみて 熱き血潮の わき立てり
いにしへびとの 大声聴こゆ
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