2019年03月01日

こころのこよみ(第46週) 〜想ひ起こす 源を〜


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世、それはいまにもぼやかさうとする、
 
こころのひとり生みの力を。
 
だからこそ、想ひ起こせ、
 
精神の深みから輝きつつ。
 
そして観ることを強め、
 
意欲の力を通して、
 
己れを保つことができるやうに。
 
ルドルフ・シュタイナー
 
 
 
Die Welt, sie drohet zu betäuben
Der Seele eingeborne Kraft;
Nun trete du, Erinnerung,
Aus Geistestiefen leuchtend auf
Und stärke mir das Schauen,
Das nur durch Willenskräfte
Sich selbst erhalten kann.
 
 
 
「ひとり生み( eingeborne )」とは、何でせうか。
 
同じくシュタイナーのヨハネ福音書講義の第四講にそのことばが出てきます。

かつて福音書が書かれた頃、「ふたり生み」といふのは、父と母の血の混じりあひから生まれた者のこと、「ひとり生み」といふのは、そのやうな血の混じりあひから生まれた者でなく、神の光を受け入れることによつて、精神とひとつになつた者、精神として生まれた者、神の子、かうごうしい子のことだつたと。
 
ここで、この「ひとり生み」といふことばを深める必要があるやうに思ひます。
 
「ひとり生み」などといふことが本当にあり得るのか。
 
男と女が交はらずに、子どもが生まれて來ることなどあり得るのか。
 
キリスト・イエス伝説では、そのことが母マリアの処女懐胎として諾はれてゐます。
 
同じヨハネ福音書の冒頭に、こんなことばがあります。
 
「 ことば(ロゴス)、肉となれり 」
 
マリアに、「ことば」が宿つたのでした。
 
ことばとは、そもそも精神であります。
 
精神の伝へであります。
 
言霊(ことだま)であります。
 
精神が宿る場所は、人のこころです。
 
マリアは、精神を受け入れることのできる、清らかなこころの持ち主でありました。
 
さうして、実際に、肉体を持つた幼な子が、その精神を受け入れた女から生まれるといふことが、あり得る。
 
降りて來る精神が、あまりにも尊く強い力を持つものであればこそ、そんな常とは異なる化学反応に類するやうなことが起こり得る。
 
さういふ奇跡としか言ひやうがないことが、この世には起こり得る。
 
そのやうな「ひとり生み」によつて生まれて来た人のことを、我が国では何と呼んだのでせうか。

「覚者」、「善智識」でせうか。これらはきつと仏教からのことばですね。

柳田国男の『新たなる太陽』といふ文章の中で、「大子(おほいこ)、すなはち神の長子」といふことばも読むことができます。
 
または、逆に、「小さ子(ちいさこ)」と呼ばれる子どものことも、神の子として「桃太郎」や「つぶ長者」や「竹取物語」などのお話しでわたしたちに伝へられてきましたね。
 
きつと、我が国においても、「ひとり生みの子」「大い子」「小さ子」は、その存在を神秘の内に認められて来たのではないでせうか。
 
また、わたしたち凡庸なる者は、当たり前に、男と女の交はりによつて肉として生まれて来ます。
 
しかし、この「ひとり生み」は、精神的に、わたしたちの内において、わたしたちのこころにおいて、起こり得ないでせうか。
 
ある日、「ことば」を孕み、その「ことば」を出産するがごとく、外へと発する、そんな日が、ありはしないでせうか。
 
「ことば」とは、己れの清められたこころ(マリア)に、外なる太陽の精神(キリスト)が訪れ(※)、出会ひ、結びつき、新たな子(イエス)を産むがごとくして、世に放たれるものです。
 
「ことば」とは、そもそも、人をひとり立ちさせようとするものです。
 
そのひとり立ちする力が、春が近づいて來るこの時期、ぼやかされようとしてゐる。
 
己れを保つて、ひとり立ちできるやう、わたしたちは、意欲的に想ひ起こすことがたいせつな作業になつて来ます。
 
何を想ひ起こすのか。
 
それは、精神の深み、です。
 
精神の深みとは何か。
 
それは、自分よりも大きな存在があられるといふことです。
 
わたしたちは、想ひ起こすのです。
 
こざかしく、考へを弄するのではなく、自分よりも大きな存在と共に毎日を歩いていく、そのありがたさを。
 
そして、わたしたちは、みな、いつでも、己れのこころの内から新しくひとり生みの子を生み出すことができるといふことを。
 
 
 
世、それはいまにもぼやかさうとする、
こころのひとり生みの力を。
だからこそ、想ひ起こせ、
精神の深みから輝きつつ。
そして観ることを強め、
意欲の力を通して、
己れを保つことができるやうに。
 
 
 
 
※マリアに宿つた精神のことについては、より精確に述べなければなりませんが、ここでは、記述が更に多量になることをはばかり、このやうな書き方をしてゐます。


posted by koji at 11:15 | 大阪 ☀ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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