俳優にとつて、己れのからだは、その俳優によつて奏でられる楽器であるがゆゑに、わたしたちは、己れの「からだ」を親しく知つてゆくことを要します。
ピアノの奏者がピアノをよく知ることを要するやうにです。
どのやうな立ち方、歩き方をしてゐるのか、そのときに、足の裏のどの辺りに重心がかかりがちであり、膝をどう曲げてゐるのか、腕をどう動かしてゐるのか、等々、己れのからだを親しく観る必要があります。
そして、わたしたちは言語造形に勤しみながら、己れの声を己れみづからで聴くことができるやうになるまで、練習を重ねることを要します。
己れの発したことばが、どういふ形をもつて、どういふ動きをもつて、喉からすつかり放たれ、空気に響き渡つていくかを、感官をもつて、また感官を越えて、観ることができるやうに、練習されてしかるべきなのです。
昨日、『ことばの家 諏訪』で行つてゐます『普遍人間学の会』での言語造形の時間に、こんな話をさせてもらひました。
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ある役者がゐました。
彼は、見た目の姿も、声も、ほとんど役者には向いてゐませんでした。その彼が、演じる芸術について、かう述べてゐます。
「もしわたしが舞台にただ立つにまかせて立つてゐたとしたら、わたしは役者が務まらなかつたでせう。
からだは小さいし、猫背ですし、しわがれ声で、顔は不細工です。しかし、わたしはわたしなりにやつて来ました。
舞台でのわたしは、常に三人の人です。
一人は、小さく、猫背の、しわがれ声で、不細工な人です。
二人目は、猫背と、しわがれ声から全く抜け出してゐる人、まぎれなくイデ―であり、全く精神である人です。その人をわたしは常に前に迎えることになります。
そして、いよいよ三人目の人です。わたしは、さきの二人から抜け出し、三人目の人として、二人目の人と共に、一人目の、しわがれ声で、猫背の人をもとに演じます」
(ルドルフ・シュタイナー『演じるといふ芸術について』から)
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わたしたち、言語造形をする人は、この三つの分かちを、常に意識して舞台に立つことを修練していきます。
いつも格好よくあらうとする人、いつも美しくあらうとする人は、己れのからだについてなにひとつ諾ふことをしないゆゑに、己れのからだとの関わりの中で己れを知るといふことができません。
からだ、そして声、それは、わたしたちが己れみづからを知るためのたいせつなたいせつな元手なのです。
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