2019年01月31日

こころのこよみ(第43週) 〜考へる力から内なる炎へ〜


abtei-im-eichwald.jpg
カスパー・ダヴィット・フリードリッヒ「Abtei im Eichwald」

 
冬の深みにおいて、
 
精神のまことのありやうが暖められ、
 
世の現はれに、
 
心(臓)の力を通してありありと力が与へられる。
 
「世の冷たさに力強く立ち向かふのは、
 
人の内なるこころの炎だ」
 
ルドルフ・シュタイナー
 
 
In winterlichen Tiefen
Erwarmt des Geistes wahres Sein,
Es gibt dem Weltenschine
Durch Herzenskräfte Daseinsmächte;
Der Weltenkälte trotzt erstarkend
Das Seelenfeuer im Menscheninnern.
  
 
 
「世の冷たさ」とは、つまるところ、「己れの冷たさ」ではないか。
 
己れの内なる利己主義、寂しさ、悲しみ、怒り、それら様々の感情から必然的に織りなされてきた、我がこころの冷たさではないか。
 
我がこころの冷たさが、おのづと、その合はせ鏡のやうに世の冷たさとして外から己れに向かつて迫つて來る。
 
「世の冷たさに力強く立ち向かふのは、人の内なるこころの炎だ」と今週の『こころのこよみ』にある。
 
この『こよみ』に沿つて生きてみようとするならば、要(かなめ)は、己れの内なるこころの炎をどのやうにしたら燃え上がらせることができるか、といふことになる。
 
わたしの個人的な感覚だが、他者に期待し続けてばかりゐるやうなあり方では、いつまで経つても、こころの炎は燃え上がらない。
 
この冬の深みにおいて、わたしたちは、他の季節におけるより、ずつと深く、熱く、考へることができる。
 
己れだけが知つてゐる、己れだけが信じてゐる、理想といふ考へを、いま一度、熱く、想ひ起こすのだ。
 
さうすることで、こころの炎が燃え上がりはしないか。
 
その炎こそが、己れの内なる冷たさを溶かしはしないだらうか。
 
ためいきや諦めや失望が、霧消していかないだらうか。
 
寂しさや悲しみや怒りが、暖かな希みと熱い念ひに、生まれ変はらないだらうか。
 
わたしは、己れの考へる力を、信じてゐる。
 

 
冬の深みにおいて、
精神のまことのありやうが暖められ、
世の現はれに、
心(臓)の力を通してありありと力が与へられる。
「世の冷たさに力強く立ち向かふのは、
人の内なるこころの炎だ」
 

 
 



posted by koji at 19:18 | 大阪 ☔ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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