
写真撮影:山本 美紀子さん
小学生の子どもたちには、どんな書物がふさはしいか。
などと、大人があまり考へない方がいいやうに思ふ。本人が読みたいものをどんどん読むことができるやうに、計らつてあげるだけでいいと思ふのです。
ただ、これだけはたいせつだと考へてゐるのは、一冊の本が祕めてゐる未知の何かに対する、限りない愛情、尊敬、信頼。
そこから、本に限らず、ものといふものに対する、愛情、尊敬、信頼がおのづと育つていきます。
何を学ぶにしても、そのこころもち、感情さへあれば、いい。
もし、そこに熱烈な尊敬、熟していく愛情が育つていくなら、大げさな言ひ方になりますが、その人のこころには、誰に何かを言はれなくとも自分の意欲だけで学んでいく力、世界中を相手に回しても自分の道を進んでいく力が宿り始める。
自分の意欲だけで自分の道を進んでいく、それが、この身ひとつで、世を生きていく、といふ力。
それが、自由への道を歩いていくといふことではないかと思ふ。
学ぶ人にとつては、学ぶ対象に対する疑ひではなく(!)、学ぶ対象に対する信頼・信といふものがとても大事です。
では、その対象については、はじめは未知であるのに、どうして信頼が、愛情が、尊敬が、抱かれるのか?
それは、その人のこころのうちに、既に信じるこころが育つてゐるからだ。
信じるこころが、信ずるに値する書物を引き寄せる。信ずるに値する人を引き寄せる。
小学生のこころとからだにまづは何を植ゑつけるか。
それは、信じるこころの力であり、感情の育みです。
その信じる感情の力が、やがて、芽をだし、葉を拡げ、花を咲かせて、きつと、その子がその子の人生に必要なものを、おのづと引き寄せるやうになるでせう。
その子が、その信じる力を自分の内側深くに育てていく。
ではそのためには、大人は何をすればいいのか?
その子の傍にゐる先生が、親が、大人自身が、熱烈に、一冊の本ならその本に、何かの存在ならその存在に、尊敬と愛情と信頼を持つてゐる姿を、子どもに示しつづけるのです。
多くの本でなくてもいい、この一冊といふ本を見いだせたなら、本当に幸ひです。その一冊の本を再読、熟読、愛読していくことで、その本こそが、その人の古典になります。
信じる力と言つても、それは何かあやしいものを信じてしまふことになりはしないかといふ危惧は不要です。
信じる力の枯渇、それがまがひものを引き寄せてしまひます。
信じる力の育み、それが信じるに値する何かを引き寄せます。
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