2019年01月06日
光の矢 〜往馬大社を訪ねて〜
大阪と奈良の県境にある生駒山の東の麓に鎮座されてゐる往馬(いこま)大社。
そこは、夫婦神、伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ)と伊古麻都比賣神(いこまつひめのかみ)がお祀りされてゐます。
生駒山を御神体に生駒谷十七郷の氏神としてお祀りされてゐますが、毎年秋に火祭りが行なはれてゐることから火の神としてもお鎮まりになつていらつしやるやうです。
火の神といふことは、日の神、陽の神であります。
その往馬(いこま)大社に差し込む陽の光の矢。
樹木を火で燃やすことから生まれる煙、それは陽の光の対極にあるものですが、それゆゑに、その煙の中を貫く陽の光が明瞭に空間に顕れてゐます。
それは天から射放たれた矢。
それは、稲を稔らせ、人のこころと生命を賦活させます。
そして、古くは、海人族が日の神を招ぎ迎える神事の具が、弓矢だつたさうです。
そのなにゆゑかが、前住吉大社宮司の真弓常忠氏の幾冊もの著作にて考察されてゐます。
1月13日のお弓はじめと云はれてゐる住吉大社の御結鎮神事(みけちしんじ)との関はりも気になつてゐます。
それらのことがらが、日本の精神の世でとても複雑に絡みあつてゐるやうです。
そこから、なぜ、往馬大社に、気長足比賣尊(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)、足仲津比古尊(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)、譽田別尊(ほむだわけのみこと・応神天皇)等の方々がお祀りされてゐるのかも、より深い見地から見いだされていくかもしれません。
神社に今も伝はつて残されてゐる神事、祭事を訪ねる。
そして、長い長い皇室の伝統を身をもつて顧みる。
さらに、それらをその精神の躍動するままにことばの芸術として記してゐる古典文学。
それらを少しずつでも体験、精査していくことで、日本の精神を芸術的に探求しつつ、この時代を活き活きと生きて行くことへと繋がるならば・・・。
そんな希ひをもつてゐます。
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