2018年12月09日

こころのこよみ(第35週) 〜〈ある〉〜


48372430_2872176139474620_8558402157588512768_n.jpg
平櫛田中作「森の仙人」


<ある>とは何かを、わたしは知りえるのか、
 
それを再び見いだしえるのか、
 
こころが活き活きと働くならば。
 
わたしは感じる、わたしに力が与へられてゐるのを。
 
それは、己れみづからが手足となつて、
 
世を慎ましく生き抜いていく力だ。
 
ルドルフ・シュタイナー
 
 
 
Kann ich das Sein erkennen,
Daß es sich wiederfindet   
Im Seelenschaffensdrange ?   
Ich fühle, daß mir Macht verlieh'n, 
Das eigne Selbst dem Weltenselbst   
Als Glied bescheiden einzuleben.
 
 
 
手足を使つて、地道に、慎ましく、世を生きてゐる人を何人か知つてゐる。
 
わたしの子どもの頃から変はらず、同じ場所で、同じ仕事をし続けてをられる。
 
それゆゑ、もう四十年から五十年の間、その同じ仕事をし続けてをられることになると思ふ。
 
その人たちとは、口をきいたことがない。
 
しかし、わたしは、彼らの姿を目にするたびに、なぜか子どもの頃から変はらぬ、畏敬とでも言ふしかない念ひを抱いてきた。
 
黙つて無駄口を叩かず、ひたすらに手を動かしながら仕事をし続けてゐる彼らの姿。
 
わたしは、その姿に、まさに「人」を感じて来た。
 
何の説明も注釈も要らない「人そのもの」を感じて来た。
 
「人」が「ある」といふことを、その人たちにぢかに感じるのだ。
 
このわたしも、「人」として「ある」だらうか。
 
わたしは、〈わたし〉として「ある」だらうか。
 
様々な「ある」の中でも、とりわけ、「人がある」「〈わたし〉がある」こそが、最もリアルな「ある」ではなからうか。
 
 
 

こころを活き活きと働かせ、己れみづからが手足とひとつになつて、それゆゑ、慎ましく世を生きてゐるとき、実は、わたしたち人は、過去の想ひ出に基づいて生きてゐる。 
 
その想ひ出とは、このこころに、このからだに刻み込まれてゐる想ひ出だ。
 
手足を使つて精一杯働いてゐるとき、わたしたちは、それまでの人生で培つた技量をほとんど無意識に元手にしながら生きてゐる。
 
わたしたち人は、この世に生まれてからこの方、ずつと、手足の技量を培つて来た。 
 
その技量といふ技量に基づいて、わたしたちは日々の生活を営んでゐる。
 
字の書き方、お箸の使ひ方、自転車の乗り方から始まつて、様々な技量をこの人生の中で身につけてきた。
 
さうして、わたしたちは、からだに刻み込まれた記憶を頼りに自分の手足を使つて、仕事に勤しんでゐる。
 
人の手仕事といふものは、美しい。
 
その仕事によつて産みだされるものも、その仕事に従事してゐるその人自身も美しい。
 
なぜなら、手足を通しての仕事といふものは、その人その人の過去のすべてが反映してゐるからだ。
 
さらに言へば、すべての人の、人類の記憶が反映してゐるからだ。
 
もつと言へば、神の意識が反映してゐるからだ。
 
そもそも、人のこころもからだも、すべてが神の創造物であり、神の技量の成果ではないか。
 
それら過去に積み重ねられて来たすべてを想ひ起こすことで、人は、思ひもよらぬ安定感をこころに抱くことができはしないか。
 
字を書くことのできる自分、歩くことのできる自分、話すことのできる自分、すべて、あまりにも当たり前であるがゆゑに、それらが培はれて来た技量だといふことを想ひ起こすことは滅多にない。
 
しかし、それらはこころにばかりか、からだにまで刻み込まれてゐる記憶なのだ。想ひ出なのだ。
 
それらの記憶は、子どもの頃から変はらずずつと、〈わたし〉があつたことを知らしめてくれる。
 
そして、〈わたし〉は、時を貫いて、ありつづけてゐる。
 
その〈わたし〉が生きて来た無数の様々な出来事。
 
それらを想ひ起こさうとするとき、いはば、精神の海に波打つみづみづしい無数の想ひ出が、〈わたし〉を支へてくれてゐることに気づく。
 
〈わたし〉はありありとあつた。
 
そして、いまも、〈わたし〉はあり、これからも、あり続ける。
 
 
 
手足を使つて生きて行く。
 
その慎ましい生き方は、「人がある」「〈わたし〉がある」といふ最も大切な想ひ出を呼び起こしてくれるがゆゑに、安らかで、確かで、かつ、美しいのだ。 
 
 
 
 

<ある>とは何かを、わたしは知りえるのか、
それを再び見いだしえるのか、
こころが活き活きと働くならば。
わたしは感じる、わたしに力が与へられてゐるのを。
それは、己みづからが手足となつて、
世を慎ましく生き抜いていく力だ。
 
 
 


posted by koji at 08:50 | 大阪 ☁ | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。