
言語造形と演劇芸術のための学校。
言語造形といふ芸術活動をしていく上で、なぜこのやうな学校的なものを打ち樹てていくことが、必要なのかを改めて考へてみました。
人は誰でも、思ひ上がりといふルーツィファー的なものと、自己不信感・絶望といふアーリマン的なもの、そして、そのどちらにもまたがる不満・満たされなさといふものを、必ず、抱えて生きてゐます。
この、こころにどうしても宿つてしまふ三つの業は、大人になつてからこそ、わたしたちが向き合はなければならないものです。
でなければ、わたしが、〈わたし〉になつてゆくことが阻まれるからです。
〈わたし〉とは、パーソナリティーを越えた、インディヴィジュアリティーとしての〈わたし〉のことです。
それは、まさに、わたしのわたしたるところです。
作品を創つてゆく際、作品の精神にわたしが呑み込まれてゐる間は、自分ではできてゐるつもりでも、実のところ、作品として成り立つてをらず、作品として説得力のあるものとして作品が作品として一人立ちしてゐません。
いはば透明なわたしである〈わたし〉が、作品の精神よりも、大きくなつて初めて、作品として真価を発揮し出します。
〈わたし〉が、作品よりも大きくならなければなりません。
そのためには、もう、繰り返しの練習しか、道はないのです。早道などありません。
先ほど書いた三つの宿業とも言へるものを凌いでいき、ひとつひとつの作品を透明な〈わたし〉をもつて包み込んでいくためには、どうしても相応しい指導とそれに応じるこつこつとした練習が必要です。
繰り返し繰り返しの稽古といふものこそが、人にそれらの宿業を凌がせていく道であることを実感してゐます。
ゆゑに、一定期間、毎日、指導を受け、稽古をしつづける環境の中に入つていくことが、これを天職になさうと志す人にとつて、どうしても要るのです。
言語造形では、五年といふ期間をもつてそれがなされます。
その五年といふ時間こそが、その人を学校から自由に羽ばたかせうるのです。
月に一回や、週に一回では、どうしても埒が明かないところがあるのです。
わたし自身には、その理想に対する実感と確信がありましたが、そのやうな環境を準備する心積もりと決意が、長い間できませんでした。
しかし、時が熟して来たのかもしれません。
わたしのなかで、その志がどうしても萌し、地上に生へ出て来たのです。
天職としての言語造形をなしていく日本人が必要だと考へてゐます。
日本語といふわたしたちの国語の美しさと喜びを、子どもたち、未来の日本人たちに受け継いで行つてもらふためです。
そのためには、国語の芸術家が必要なのです。
日本といふ国に、言語造形といふ芸術が、今後、五十年後、百年後、二百年後、いよいよ榮えていくために、わたしも、いま、始めたいと思つてゐます。
楽器の演奏者が、指揮者といふ外の眼・外の耳によつてよりふさわしく導かれてゆくやうに、ことばを話す芸術、言語造形をする者にも、さういふ外なる眼と耳が必要です。
志をもつ人に向けて開かれる学校です。
https://kotobanoie.net/school/…