2018年10月28日

ことばの奥にあるもの


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写真撮影 山本 美紀子さん

今日、言語造形クラスに参加して下さつてゐるおひとりの方がこんな話をして下さつた。
 
先日、演劇を観に行つた。それは、何らかの心理的障害を抱えてゐる子どもと大人の方が出演してゐるもの。
 
その俳優さんたちが舞台の上でことばを語るのだが、その発音されることばが、ことばの形をなしてゐなくて、全く何を言つてゐるのか、分からない時がある。
 
しかし、観客である自分には、何がそこで語られようとしてゐるのかよく分かつた。
 
さうお話ししてくれた。
 
声の質だとか、表面に於けることばの意味、さういふことよりも大切なのは、ことばを発しようとするときの、こころのアクティブな動きである。
 
ことばが生まれてくる大もとの泉、それは、こころのアクティブな働きなのである。
 
その泉が、こんこんと新しい清水を湧き立たせてゐるかどうか、こころの動き(アストラルのからだの働き)が活き活きと動いてゐるかどうかが、最も大切なことなのだ。
 
その演劇では、きつと、こころの働きが活き活きと繰りなされてゐたに違ひない。
 
人は、ともすれば、ことばを発するときに、表面だけきれいに整えようとしたり、意味や情報さへ伝はればそれでよしとしてしまふ。
 
しかし、それでは、いくら丁寧に話されてゐても、いくら淡々と話されてゐても、こころやいのちの営みの欠けた虚ろで死んだことばを聴いてゐる人に手渡すことになつてしまふのだ。
 
さういふときのことばは、精彩といふものが欠けてしまつてゐる。
 
そもそも、活き活きとしたこころの働き(アストラルのからだの働き)が、いのちの働き(エーテルのからだの働き)に作用していくとき、人は母音を発する。
 
一方、そのこころの働き(アストラルのからだの働き)が、〈わたし〉に作用するとき、人は子音を発する。
 
ことばの働きの大元は、こころの働き(アストラルのからだの働き)なのだ。
 
こころの働きをいかにしてアクティブなものにするか。それが、ことばを話す上での欠かせないことである。
 
だから、逆に言へば、ことばの練習を積極的にすることで、人は、アストラルのからだ(こころの働き)とエーテルのからだ(いのちの繰りなし)、そして〈わたし〉の営みとを連動させながら、自分自身を育んでいくことができる。
 


  


posted by koji at 16:17 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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