2018年10月18日

手足で聴く


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写真撮影 山本 美紀子​さん
 
人は、いつも、何かを見てゐますし、何かを聞いてゐます。
 
ただ、そのふたつの感覚器官の働きは、実はとても対照的な働き方をしてゐます。
 
ルドルフ・シュタイナーの『メディテーションをもつてものにする人間学』にかうあります。
 
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視るに於て迎へられるところが覚えられるのは、それなりの自立性をもつた頭のなりたちによつてであります。
 
聴くに於て迎へられるところが覚えられるのは、節分かれしたからだのまるごとによつてです。
 
見るに於て迎へられるところは、頭からからだへと向かふ流れ(上から下)をもちます。
 
聴くに於て迎へられるところは、からだから上へ(下から上)と向かふ流れをもちます。
 
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シュタイナーが、ヴァルドルフ学校を初めてシュテュットガルトに開校して、丁度一年後に教師たちに向けてした講義からです。
 
視えるもの。
 
それは、目といふ感覚器官を通して、頭の部位から、首から下、胸へ、腹へ、下半身へと密やかにからだに働きかけていく。
 
一方、聴こえるもの。
 
それは、本質的には、節分れしてゐる手足、下半身、腹、胸で覚えられ(受け取られ)、上へと密やかに昇つていき、頭に於て想はれる。
 
耳と云ふ感覚器官で聴かれるのは、むしろ、残響と云へるものではないか。
 
空気の震へを集約的に受け取るのは確かに耳だらうけれども、本来的に音の音たるところを、わたしたちは胸、腹、更には手足に於て受け取つてゐる。
 
ことばや音楽と云ふものは、手足によつて聴かれてゐる!
 
なぜなら、ことばとは、音楽とは、そもそも、精神の運動であるからです。
 
頭、耳で聞かうとするのではなく、たとへからだはぢつと静かにしてゐても、ことばや音楽に密やかに手足を沿はせるやうにして聴かうとするとき、そのことばや音楽の「中味」「こころ」「精神」に触れることができる。
 
そのとき、人は、健やかに、聴く力を育んでいくことができる。
 
しかし、聴き手がそのやうに聴くことができるのも、話し手が手足をもつて語らうとし、音楽を奏でようとするときです。
 
話し手が頭のみで、口先のみで、ことばを話すとき、そのことばは、聴き手の手足によつては受け取られず、頭のみに働きかけます。
 
だから、聴き手が手足をもつて聴くことができるやう、とりわけ子どもたちには手足の動きをもつて語りかけることがたいせつです。
 
これらのことは、まさに、メディテーションによつて、身を使つての芸術行為を通して、初めてリアルに受け取られるものです。
 

 

 
 
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2019年1月開校!
『言語造形と演劇芸術のための学校』
https://kotobanoie.net/school/


posted by koji at 16:14 | 大阪 ☁ | Comment(0) | アントロポゾフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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