大人になつてゐるわたしたちにも、その成長に於いては三つの段階があるやうに思ひます。そしてその三つは、何歳になつても混じりあつてゐるやうです。
一つ目。
それは、あるがままの自分自身を嘘偽りなく受け入れ認めること。
世の趨勢は、多く、この一つ目のことに意識が向かつてゐるやうに感じます。それだけ、わたしたちの多くが、自分自身を自分自身で肯定できないことに苦しみを抱えながら生きてゐる。
しかし、このことがこれほどクローズアップされてゐるといふことは、とりわけ、この日本といふ国が変はり始めてゐるといふことでせう。つまり、この国自体が、己れを己れで認められない宿痾から抜け出し、新しい自己像を描き出す、そのスタート地点に立つてゐます。国の変容とひとりひとりの変容は、きつと、重なりあつてゐます。
わたしたちひとりひとりも、この一つ目を、この人生に於いて、きつと、成し遂げていきます。
二つ目。
それは、新しく見いだされた(想ひ起こされた)自分自身から、新しく湧き上がつてくるものを、自分自身で見いだし、それが発展していくことを喜ぶことができること。
それは、ひとりひとりの人には無尽蔵の創造力が秘められてゐるといふことに気づき、ひとりひとりの人がその力を汲み上げていく方法を知る、といふことです。
「あるがままの自分」を知るだけでは、人は満足できないやうです。
己れを肯定し、己れへの信頼を育んでゐる人は、きつと、己れの内から何かが産まれたがつてゐるのを感じる。そして、ときが熟し、何かとの、誰かとの出会ひの中で、人は己れの内なる創造力の存在に驚き、喜びを見いだすことができる。
そんな二つ目の次第に、いま、多くの人が目覚めるときが来てゐるやうに感じられて仕方がありません。
三つ目。
それは、おのおのが歩む人生の道の上で、人は先達を探し、師に就き、己れの創造力を専一に磨いていく。そこに至つて初めて、志といふものが人の生に通ひだす。志といふものに沿つて、己れを導き、道を歩み続ける。喜びも苦しみも悲しみも、すべての情が洗はれ、濯がれ、ただ毎日、道を歩むことだけが、生きることの真ん中に位置してきます。その道に、終はりはありません。
人は、この三つの次第を行き来しながら、生きてゐるやうに思はれるのです。
わたし自身も、この三つを行き来しながら、つひに、三つ目を目指して「ことばの家」をしてゐます。
そして、三つ目を目指す人よ、集まれ、といふ覚悟が生まれてきたことも、わたしにとつてのよろこびです。
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