2018年08月28日

人はみな言語造形をしてゐた 〜寅さんの生業〜



 
感情を交へずに、淡々と声にすることを旨とすべし。
 
シュタイナー教育において子どもに向かつて物語を語りかけるときに、このことをこれまでよく本などで目にしましたし、人がさう言ふのを耳にしました。
 
しかし、シュタイナー自身がかう語つてゐます。ことばの味はひを本来的に感じはじめる小学生のこころと精神をあまりに強くからだに受肉させることから守るために、いかに語りかけるか、といふことに関して、です。
 
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歴史の物語に子どもが強く情をもつてかかはるやうに、教師自身が、人物について、強く情から心を寄せ、敬ひ、あるいはまた憎むに値する人物のことを述べるときには、敬ひ、あるいは憎しみを湛えて語ることです。そのことをもつて歴史の授業は、子どもが物質的になりすぎないことに、ことのほか役立ちます。(『メディテーションをもつてものにする人間学』鈴木一博訳)
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シュタイナーが語つてゐることがらを長い時をかけてわたし自身で確かめてみるに、語り手自身が、言語造形を通して、ことばに沿ふことによつて、おのづから抱かれる深い情を湛えながらことばを発すること、それは決して聴き手への情の押し売り、頭でつかちな考への押し付けには決してなりません。
 
芸術とは、人の知性にではなく、情に訴へてくるもの。要(かなめ)は、語り手の独りよがりな情ではなく、作品そのもの、ことばそのものに潜んでゐる、まことの情が、ものをいふことです。まことの情こそが、小学生を育てます。まことの情こそが、子どもたちと、分かち合はれ、その分かち合ひは、わたしたちのふるさとである精神の世を想ひ起こさせます。
 
また、シュタイナーはかうも言つてゐます。今度は、子どもをある程度、その子その子に応じてふさわしく地上的にするために、いかに語りかけるかです。
 
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子どもがあまりに夢見がちであると気づいたなら、その子が言語の唱へられるところ、音楽的なところ、リズム、拍を受け止めることのはうへと目覚めるやうに試みます。言語の音楽的なところは、<わたし>をからだに入り込ませるのに役立ちます。育てる人としては、それを芸術として身につけることが欠かせません。(同書)
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ことばの音楽的な側面。それは、子どもの意欲を強め、萎えがちなところにいのちを吹き込むだけでなく、子どもを意識の目覚めへとゆつくりと導きます。
 
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いにしへには、人がそもそもリズムなしに話すなどありえない代々がありました。人がリズムのうちに話さうとする向きをもつてゐました。たとへば何ごとかを言ふのに、言語造形によらずに言ふことはありえませんでした。(『言語造形と演劇芸術』鈴木一博訳)
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本当の意味での、人といふものの育み。それには、生の中に、授業の中に、いのちを吹き込む芸術的な情が欠かせません。
 
と、いふところで、あまりにも急な展開かと思はれるのも無理はありませんが、そんな情をあまりにも豊かに湛えてゐた達人のひとりを紹介いたします。
 
寅さんです!
 
こころ(アストラルのからだ)からのはずみを基に話されてこそ、ことばは生きて来ること。
 
そのことのモデルケースを見せてくれてゐます。
 
子どもたちを育て、人を活き活きと活かすためには、このことばを話す「はずみ」が促されることが、教育の上で取り上げられていい、さう思ひます。
 
寅さんが、先生だつたらなあ。

 



posted by koji at 15:35 | 大阪 ☁ | Comment(0) | ことばづくり(言語造形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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