2018年08月15日

言語造形さん


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五年前に書いた記事です。 
 
小学二年生の長女に、まだ少し早いかもしれないが、ミヒャエル・エンデの『モモ』の読み聞かせをここのところ、ずつとしてゐる。5歳の次女も、分かつてても分かつてなくても、じつと耳を澄まして聴いてゐる。
 
今日は、前半のクライマックスと言つてもいい、「時間どろぼう」の章に差し掛かつてきた。
 
「時間どろぼう」の語りかけることばにこころを奪はれてしまつた人は、いかに時間を節約して、いかに無駄を省き、いかに計算通りに効率的に生きていくかに血道を上げていくことになる。
 
その生き方、そのこころのあり方が、他の誰でもない、この本を読んでゐる自分自身のことだとまもなく気づく。 
 
「時間が足りない」「お金が足りない」「・・・が足りない」「足りない」「足りない」・・・。そんな、思考にもならない深い感情のところで、こころが何かに急かされるやうに焦つてゐる。
 
さうして、人は人のこころを失つていき、この世をみづから住みにくい世にしてゐるのだ。
 
どれほど子どもの前で「早くしなさい!」「ぐずぐずするな!」といふことばを連発してゐるだらう。
 
自分自身のあり方が戯画として描かれてゐるのを観て、『モモ』を読むそのたびごとに、こころが治癒されるのである。
 
「時間どろぼう」に取りつかれてゐた自分自身をこの読書が治癒するのである。
 
この本を読むことで、お父さん自身の呼吸がだんだんゆつくりとなり、表情も豊かに優しくなつてくるのを、子どもたちも感じるんだらう。
 
「お父さんやお母さんが『早くしなさい!』なんてゆふ時、時間どろぼうがお父さんやお母さんの背中に張り付いてるねん」なんてことを話しても、娘たちはにこにこして、親のそんなあり方を懐深く広く受け止めてくれる。
 
次女がこんなことを今日言つたので大笑ひした。
「生まれてくる前に、神さまにお願ひしてん。時間どろぼうさんが一杯ゐるところぢやなくて、言語造形さんが一杯ゐるところに生まれますやうにつて。そやからお父さんも言語造形さんになつてん」
 
さうや、さうや、言語造形をするから、普段よりもずつと息を深くして間(ま)をもつてことばを話すことができるな。言語造形さんは、時間どろぼうさんを追ひ払ふんや。
 


posted by koji at 08:27 | 大阪 ☔ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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