ルドルフ・シュタイナー作『Mysteriendrama(秘めやかな事についての劇)』の一場面
●この、『言語造形と演劇芸術』のコースで話されてゐるところを弁へるには、感官への現はれの背後に隠れる世の内容に踏み込むことを要する。このコースでわたしたちに与へられてゐるところを実践に於いてフルに利用するには、その世の内容を生きることが欠かせない。そこにわたしたちが予断や嫌ふ気持ちを差し挟まなければ、その世の内容を生きるであらう。
わたしたちがしようとしてゐることは、何をするにも、精神的な観点から、見てとり、感じとり、考へ、取り組んでみるところからであります。
ことばの舞台芸術が、物質主義の軛(くびき)から解き放たれて、人のこころと精神を満たすやうなものになるやう、わたしたちは試み続けます。
しかし、その道は、ひたすらな練習しかありません。
何か特別な秘訣や謎めいた秘密はありません。
ただ、練習を続けていくことの中に、見えてくることばの線、聴こえてくる確かな調べ、伴走しうることばの動きを、己れのものにしていくしか、方法はありません。
しかし、それらは、明らかに、この世の物質的なものでなく、ことばと作品まるごとに秘められてゐた精神的な法則に他なりません。
芸術は、机上の勉強ではなく、汗を流しながらの、精神に向けた新しい認識の学そのものなのです。
そして、息を解き放ち、声を発し、ことばを話す人自身が、みづからその線を追ひ続け、調べを聴き続け、動きを動き続けるのは、とても難しい故に、言語造形には、学校が必要なのです。
自分で自分の声を聴きとることができるまでには、とても長い年月が要るのであります。
自己流では、決して、摑み得ない学びです。
●そもそも、音韻は精神の使ひであり、息は神々の実質である。そして、演劇は、秘めやかな事から出て来てをり、わたしたちは再びそこに立ち返りうる。
こころの柔軟さ、素直さ、アクティビティーが生きてゐさへすれば、そして、様々な予断や、精神を嫌ひ、恐れる気持ちが、道を塞ぎさへしなければ、きつと、客としてのことばの精神(言霊)がわたしたちを導いてくれます。
音韻と息が、言語の芸術をする人にとつての素材であり、道具であり、教師であります。
それらの元手をもつて、日本の「秘めやかな事についての劇」を創ることを目指していきたいと考へてゐます。
#言語造形
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