2018年05月22日

こころのこよみ(第7週)〜吹き込まれ、そして解き放たれる息〜

  
わたしのわたしたるところ、
  
それはいまにも離れ去らうとしてゐる、
 
世の光に強く引き寄せられて。
 
さあ、来たれ、わたしの予感よ、
 
あなたの力に満ちたふさわしさの中に、
 
考へる力に代はつて。
 
考へる力は感官の輝きの中で、
 
みづからを見失はうとしてゐる。

      ルドルフ・シュタイナー

 
 
 
Mein Selbst, es drohet zu entfliehen,
Vom Weltenlichte mächtig angezogen.
Nun trete du mein Ahnen
In deine Rechte kräftig ein,
Ersetze mir des Denkens Macht,
Das in der Sinne Schein
Sich selbst verlieren will.
 
 
 
芸術への感覚、芸術を生きる感覚といふものは、どの人の内側にもある。

ただ、それは意識して育まれることによつて、だんだんとその人のものになり、表に顕れてくるものだらう。
 
その感覚を育むほどに、この『こころのこよみ』を通しての密(ひめ)やかな学びにもリアリティーが生まれてくる。
 
人は、芸術に取り組むとき、ある種の息吹きを受け、それを自分の中で響かせ、そしてその息吹きを解き放つていく。大きな呼吸のやうな動き、風の動きの中に入つていく。

そのやうな大きな息遣ひと自分自身の小さな息遣ひとがひとつに合はさつていくプロセスが、芸術における創造行為だと感じる。

言語造形をしてゐて、そのことをリアルに感じるのだが、きつと、どの芸術のジャンルでも、さうではないだらうか。そして、つまるところ、人が意識してする行為といふ行為が、きつと、芸術になりえる。
 
シュタイナーは、そのやうな、芸術をする人に吹き込まれる息吹きを、インスピレーションと呼んだ。
 
そしてそのインスピレーションから、今度は息を吐き出すやうに何かを創ることが芸術である。
 
わたしたちの地球期以前の、月期からさらに太陽期に遡るときにおいて、世に、物質の萌しとして、熱だけでなく、光と風が生じた頃に、人は、インスピレーションを生きてゐた。(Inspiration は、ラテン語の insprare (吹き込む)から来てゐる)
 
人は芸術を生きるとき、その太陽期からの贈りものとして、光と風を、いまや物質のものとしてではなく、精神のものとして、インスピレーションとして、感じる。
 
 わたしのわたしたるところ、
 それはいまにも離れ去らうとしてゐる

 
一年の巡りで言へば、わたしたちは、秋から冬の間に吸ひ込んだ精神の息、精神の風、「インスピレーション」を、春から夏の間に解き放たうとしてゐる。
 
秋から冬の間、「わたしのわたしたるところ」「考へる力」はそのインスピレーションを孕(はら)むことができたのだ。
 
「いまにも離れ去らうとしてゐる」とは、春から夏の間のこの時期、インスピレーションを孕んだ「わたしのわたしたるところ」「考へる力」が変容して、意欲の力として、からだを通して表に顕れ出ようとしてゐる、大いなる世へと拡がつていかうとしてゐるといふことでもあるだらう。
 
  世の光に強く引き寄せられて
 
その精神の吐く息に連れられて、拡がりゆく「わたしのわたしたるところ」「考へる力」は、外の世においてみづから空つぽになるほどに、光の贈りものをいただける。
 
その光の贈りものとは、「予感」といふ、より高いものからの恵みである。
 
  さあ、来たれ、わたしの予感よ、
  あなたの力に満ちたふさわしさの中に、
  考へる力に代はつて。

 

芸術とは、インスピレーションといふ世の風に吹き込まれることであり、予感といふ世の光に従ふことである。練習を通して初めてやつてくる予感に沿つていくことである。練習とは、身を使ふことである。
 
インスピレーションを孕んだ考へる力が、まづは頭から全身に働きかける。その精神の息吹きを、練習によつて、解き放つていく。その息吹きが練習によつて解き放たれるその都度その都度、予感が、光として、ある種の法則をもつたものとしてやつてくる。
 
インスピレーションが、胸、腕、手の先、腰、脚、足の裏を通して、息遣ひを通して、芸術として世に供され、供するたびに、芸術をする人はその都度、予感をもらえるのだ。
 
この小さな頭でこざかしく考へることを止めて、やがて己に来たるべきものを感じ取らうとすること。
 
こざかしく考へることを止めること。「さあ、来たれ、わたしの予感よ」と精神に向かつて呼びかけつつ、動きつつ、待つこと。それは、秋から冬の間、明らかに紛れなく考へる働きとは趣きがまるで違ふが、アクティビティーにおいては、それに負けないぐらゐの強さがゐる。
 
世から流れてくるものを信頼すること。
 
そして、そのやうな、身の働きの中で、芸術行為の中で、予感が恩寵のやうにやつてくる。
 
だから、この季節において、考へる力は、感官の輝きの中で、手足の働きの中で、意欲の漲りの中で、見失はれていいのだ。
 
  考へる力は感官の輝きの中で、
  みづからを見失はうとしてゐる。

 
 
 
わたしのわたしたるところ、
それはいまにも離れ去らうとしてゐる、
世の光に強く引き寄せられて。
さあ、来たれ、わたしの予感よ、
あなたの力に満ちたふさわしさの中に、
考へる力に代はつて。
考へる力は感官の輝きの中で、
みづからを見失はうとしてゐる。



posted by koji at 08:50 | 大阪 | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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