絵 渡部審也「猿曳図」
学校がなくとも、特別な教育施設がなくとも、子どもがこの世に生まれてきて最初のおおよそ七年間、昔の日本の多くの親たち、大人たちは、その幼な子に「芸術的なことば」をふんだんに聴かせてゐました。
「芸術的なことば」?
それは、わらべ歌であり、子守唄であり、労働歌であり、祭りのときの唱へ事、祝詞、わざをぎ(お芝居)であり、そして、昔話、語り物、人と人との語り合ひでした。
頭からの知性をもつて世間を切り回し、生き抜いていく現代ではなく、手足を精一杯働かせて暮らしを生きる日々の連続。そんな昔の日本でした。
その手足の運動から流される汗、胸のはづみ、こころのときめきから発せられる声、さういつたものが浸み渡つてゐた毎日。
子どもたちは、それらリズムに満ちて、素朴だけれども伸びやかなメロディーに彩られたことばの芸術を、からだ一杯に享受してゐました。
テレビもラジオもインターネットもない時代が何百年、何千年、続いたのでせう。
人の生の声で、手足を活き活きと働かせながら、発せられる歌、お話、語らひ。
これほど、ダイレクトな芸術はなかつたのではないでせうか。
生まれてから歯が生え変はるまでのおおよそ七年間、そのやうなことばの芸術に包まれ、抱きしめられながら、多くの日本の幼い子どもたちは、ゆつくりと大きくなつていつたのです。
そして、子どもたちの内側で、ことばを聴く力、ことばを話す力、ことばで考へる力がゆつくりと育つていつたのです。
さて、わたしたち現代人は、この現代的な環境、生活スタイルの真つただ中で、あらためて、どのやうにして、このことばの芸術からの恵みを取り戻すことができるでせうか。