
もう十年以上前ですが、この『テオゾフィー』といふ本をご紹介したく書いた拙文です。
ここのところ意識の真ん中にある「読書」といふことと重なるものなので、再掲します。
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『シュタイナー「テオゾフィー(鈴木一博訳)」を読み終へて』
http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=c0006
先日、主宰してゐる講座で、シュタイナーの主著ともいへる一冊『テオゾフィー』を読み終へることができた。
なんとありがたいことだらう。足掛け三年半に渡つて、毎月二回通つてくださつた方々に本当にお礼を言ひたい。
当たり前のことかもしれないが、聴いてくださる方がゐて、初めてわたしは語ることができる。
そして、この講座があるお陰で、わたし自身、この三年半の間、集中してシュタイナーの思考に寄り添ふことができた。
ある人の思考に寄り添ふといふことは、その思考に迎合するとか、無批判に信じ込むといふこととは違ひ、自分をいつたんは置いておいて、客を迎へる、そんなこころの筋肉を鍛へるやうなところがある。
自分を置いておける、それは実は、自分に対する意識・自己意識がとても深い状態だ。
自己意識が深いからこそ、自分を置いて、客を迎へることができる。
そんなふうに、自己意識を深めることに繋がつていく読書だつたやうに感じる。
3年半前、みんなでこの本に向かひ合つた時は、この本を通して、それぞれのおのれの中に光を求めて歩き出さうとしてゐた。
さうして、読み進め、いくつもの山や谷や川を越え、読み終はつた今、この『テオゾフィー』を読むプロセスは、光と愛がひとつになりゆくやうなプロセスだつたのだなと、強く感じる。どこか、ルーツイファーとキリストがひとつになるやうな・・・
ある人のブログに出会ひ、読書していくことについて書いてくれてゐるのを読ませてもらつて、意を強くしてゐる。
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「必要なのは読んではまた再読し、傑出した作品に親しむやうになることだ。とにかく熟視することを学ばねばならない。教養が主な敵とするのは駆け足で行き、けつして帰つてもこず、けつして立ち止まりもしないやうな読み方だ」
(アラン『著作集7』225頁)
『蒼天航路』といふコミックに出てくる呉の君主の孫権も、
「漢王朝とは何か」
「曹操と戦ふ理由は何か」
「大義とは何か」
「天下三分の計とは何か」
などについてひたすら考へ詰める。
呉の都にやつてきた劉備が、
「天下三分てなあーなあ、要は……」と云はうとすると、
「“要は”で答へるな玄徳!」と一喝する。
あるユダヤ教のラビは、聖典のたつた3行を読むのに3時間を費やしてゐたといふ。今でも真摯な神学の徒はみなさうかもしれない。
プラトンでもゲーテでも西田幾多郎でも誰でもいいから、じぶんの気に入つた作家や思想家を一人さだめ、たつぷりと時間をかけてその人の著述を隅からすみまで読みつくす・・・といふ経験をもつておくと、後々すごい財産になつていくやうな気がします。
智識はマクロ方面にまんぜんと広げるだけでは片肺飛行で、ミクロ方面にも深く根を下ろしていくことで、軸足ができ、バランスが保たれるのではないかなと思つてゐます。
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