
本と語り合ふ。本と対話する。
わたしは、本を読むとき、その本と語り合ひたい。
本とは、ひとりの人が血と汗と涙をもつて書き上げたものであると思ふ。
ひとりの「人そのもの」が、そこに鎮まつてゐるのだ。
だから、そんなひとりの人と語り合ふとき、わたしはその人のことを信じたい。
はじめから疑ひつつ、半身に構へて、その人に向かひ合ひたくない。
さう、本を読むときは、著者とその著作に全信頼をもつてその本に向かひ合ふのだ。
なぜなら、ひとつのことを疑ふ出すと、次から次へと疑ひにこころが占領されて、終ひには、その本との対話など全く成り立たなくなるからだ。
こちらのこころのすべてをもつて、一冊の本を読む。
著者を尊び、敬はなければ、対話は成り立たない。
しかも、一度では埒が明かない。何度も何度も語らふごとく、一冊の本を何度も何度も読むのだ。
さうしてこそ、その本は、その人は、己れの秘密を打ち明け始めてくれる。
また、皆が読んでゐるから、その本を読むのではない。
わたしは、こころから会ひたい人と会ふやうに、こころの奥底から読みたいと思ふ一冊の本を読みたい。
そのやうなこころの吟味に適ひ、繰り返される読書の喜びに応へてくれるのは、よほどの良書である。
時の試練を越えて生き残つた「古典」である。
そして、そのやうな古典は、古(いにしへ)と今を貫いてゐて、現在進行形の問ひを読む人に突き付けてくる。
永遠(とこしへ)である。
わたしが、ここ数年、語らひ続けさせてもらつてゐるのは、『古事記(ふることぶみ)』と『萬葉集』と保田與重郎全集全四十巻である。
『古事記』は本居宣長の『古事記伝(ふることぶみのつたへ)』で、『萬葉集』は鹿持雅澄の『萬葉集古義』で読んでゐる。いづれの古典に於いても江戸時代後期の国学者に教へを乞ふてゐる。
ことばといふもの、日本語といふものに、すべてを賭けた先人の方々との対話。読書の豊かさ。ひとりとひとりであることの真剣勝負の喜び。
残りの人生のすべてをかけても、語らひは決して尽きない。
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