2017年12月05日

本を読む@


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本を読むといふことは、わたしも子どもの頃からしてゐる。
 
しかし、いかにして本を読むかといふことについて、わたしが学び、知ることができ、またそれを実践し始めることができたのは、二十代も後半になつたときからである。
 
わたしに、本の読み方といふものを教えてくれたのは、ルドルフ・シュタイナーといふ精神科学者であり、その翻訳者である鈴木一博といふ人であつた。
 
鈴木さんの翻訳による『テオゾフィー』といふ本の序文にかう書いてある。
 
「頁といふ頁、多くも多くの文が、きつと読み手によつて稼がれる。それが、意識をもつて努めるところである。そもそも、さうであつてこそ、本が読み手にとつて、なつて欲しいところとなりうる」
 
また鈴木さんによつてアントロポゾフィー協会会報に書かれた文章「本を読むこと」にかういふことが書いてある。
 
「読み書きは、まさしく仕事です。それは、人が、することです。それは、人が、しようとしてすることです。それは、人が、独り立ちしてすることです。逆に、そのことを仕事といふなら、読み書きほどに紛れもない仕事といふのは他に見当たりません。読み書きは、労力が要ることでも、他に引けをとりません。稼ぎや儲けをもたらすことでも、他に引けをとりません。そして、人がしようとしてしてゐるうちに、人のさらなる独り立ちを促すことでも、また、人が中途半端にしてゐると、人を縛ることでも、他に引けをとりません」
 
わたしは、これらの文章に導かれ、二十代後半から五十近くまで、シュタイナーの本を毎日、毎日、倦まず弛まず、読み続けた。
 
とにもかくにも、一文一文を、一語一語を、アクティブに、舐めるやうに、穿つやうに、読んだ。
 
ときには、たつた三行の文を三時間ほど見つめ続けたことも多々あつた。
 
どんな難しい文章でも、読み続けてゐれば、見続けてゐれば、必ず、繙けるやうに分かつた。
 
それは、頭がいいからできることではなくて、意欲の漲りが導いてくれる、神秘的な、不思議な、仕業だつた。
 
さういふ、こころのアクティビティーをもつてすることが、本を読むことだと教へてくれたのは、ルドルフ・シュタイナー、鈴木一博、そのお二方であつた。
 
そのやうな本の読み方は日々の生き方にも繋がつてゐて、そここそをご教示いただけたことが、本当に本当に感謝に堪えない。


posted by koji at 23:52 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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