家庭の中で、お父さんとお母さんが語りあつてゐる。
日頃の気にかかつてゐることから、お互いの最も大事に大切に考へてゐることまで、ことばにしあつてゐる。
何気なく過ぎていきがちな日々の暮らしの中に、そのやうなことばを交わしあふ時間を持たうとする意識。努力。習慣。
そんな大人の男と女の対話の時間に、思春期を迎えてゐる若者が加わることができるなら。
そこは、大人の言い分を無理矢理押しつけられる場ではなく、大人も若者も、各々感じてゐること、思つてゐること、考へてゐることを、ことばにする練習をし、それを聴きあふ場であるといふこと。
もう、お父さんもお母さんも、独自の役割を担ふといふよりは、ひとりの大人とひとりの大人としていかに向きあふことができるのか。
そんなことを、日々若者と共に探つていく場が、家庭です。
家庭での語らひが、どれほど子どもの国語力を育てるか。
子どもの成長にとつて、どれほど創造的なことか。
本当に大事なことです。
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