2017年09月13日

右往左往せず大本に帰ること


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目隠しをされつづけてゐると、その目隠しされてゐることを忘れてしまふ。
 
そして、いまがどのやうな時なのかが分からないまま、漫然と今日といふ日を過ごしてしまふ。
 
間違ひなく、いま、日本は国際関係にをいて緊張状態にある。
 
しかし、そんな非常時だからこそ、情勢に右往左往せずに、むしろ、大本のところへ帰りたいと思ふ。
 
わたしにとつて、大本とは、精神に立ち返ること。
立ち返るべき精神とは、まづもつて無国籍の精神ではない。
日本の国にはこの国ならではの土着の精神性がある。
 
そこを掘り起こすためには、古典に常に立ち返ること。
さう立ち返ることのできる国が、世界で唯一、日本なのだ。
 
古事記(ふることぶみ)は、その序文に、天武天皇の勅命で作成が始められたとある。
 
そこでは、きわめて芸術的に、天地(あめつち)の初めからの物語が語り起こされてゐて、代々の天皇による肇国(はつくに=国創りのはじめ)の精神が説きつくされてある。
 
驚くべきことに、その精神が代々125代に亘つて継続されてゐるのが、我が国である。
 
古事記に記されてゐる歴代の御存在が、いま現在も存続してをられる。
 
だから、顕教ではなく、密教的な観点で、現代にをいて神がかつてゐる唯一の近代国家が日本である。
 
そのやうな国のあり方を伝える古典は、他の国には皆無なのだ。
 
あるとしても、その精神性は他国にをいて現代の社会生活の中では完全に断ち切られてゐる。
 
宇宙と国のはじまりを説く神話と歴史。
 
『古事記』は語り物として、それをいまに伝へてくれてゐる。
『萬葉集』は詩として、それをいまに伝へてくれてゐる。
 
この二書を熟読玩味することが、大本へ帰る志を己れの中に育てる。
 


posted by koji at 20:39 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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