奈良・桜井の等弥神社にある
「申大孝(親の教へに従ふことを述べる)」石碑(保田與重郎)
今日から、週一回の火曜古典文学舞台クラス『古事記の傳へ・萬葉のいのち〜言語造形で甦る我が國の神話と歴史〜』が始まりました。
文學とは、人が人として生きていくのになくてはならない、とても大切な仕事なのだと、この頃はとみに考へるやうになりました。
文學とは、言ひ方を替へるならば、ことばの藝術、です。
ことばの藝術に取り組む代々の志ある詩人・文人は、そもそも、國のことば「國語」の運用といふものが人の世を右にも行かせれば、左にも行かせる魔力を持つたものであるゆゑに、いかにして中庸の道であることば本來の活き活きとした働きを最大限に活かし、人のこころを高めていくかに、精魂を込め、生命を賭けてきた人たちでした。
國語の運用がその國の人を健やかにする鍵を握つてゐることを知つてゐたのです。
力を育んでいくことを抛棄すると、こころが荒んでいきます。國語を捨てると、その人はその國の人ではなくなつてしまひます。國とは、ここでは、獨自の文化を生み出し、育て、受け渡していくフィールドのことを云ひたく思ひます。ですから、その國のことばは、その國の、民族の、歴史と傳統を内に深く祕め、いまも未來の世代に傳へていかうとしてゐます。わたしたち現代人も、知らず知らずのうちに、我が國の歴史のいのちと傳統の精神に繋がつて生きてゐるのです。
母國語を愛することは、母國の歴史と傳統を尊ぶことでもあります。母國語の藝術に親しんでいくことは、母國の歴史と傳統に推參していくことでもあります。
今を生きてゐる人の立場から考へるならば、歴史とは、その人その人が主體的に過去を捉へてこそ生まれることばの藝術のひとつのかたちです。傳統とは、その人その人が主體的にいのちを吹き込んでこそ生きる精神そのものです。
そして、母國の歴史と傳統に立つ人こそが、他國の歴史と傳統を深みにおいて理解でき、尊敬できるのです。そのやうに自立してゐる者同士の間でこそ、眞の交流が生まれるのでせう。
言語造形といふルドルフ・シュタイナーによつて新しく意識化された藝術は、各々の國のことばとその人その人の聲をもつて、その國の歴史と傳統に推參した詩人・文人たちの仕事を今に生き返らせるものです。
それは、詩人・文人たちの仕事を引き繼ぐことでもあり、生まれ變はらせることでもあり、擴大させていくことでもあります。
國語を愛し、育て、受け渡していく、その本來的な文學の仕事を言語造形も荷つてゐます。
言語造形のクラスは、その意味で、國の歴史を傳えていく文學サロンであり、ことばの藝術を磨いていく場であり、國語教育の場でもあります。
文學作品をひとりひとりが聲に出していくことによつて、目で讀むだけでは全く氣づかなかつたその作品の魅力が新しく立ち上がつてくる。そして、個々の作品の魅力を通して、文學といふもの、國語といふもの、ことばといふものへの認識を新たにしていくことへも繋がつていきます。
その認識も机上で得たものではなく、全身の運動を通して得たものだけに、その認識を更にことばにして互ひに語り合ふ喜びもしみじみとした、趣深いものです。
空間に響くことば。そこにこそ、そもそもの文學の文學たるところがある。
文學をいまに生まれ變はらせ、自分たちの國語のいのちに觸れていく、そんな場が「ことばの家」です。
火曜古典文学舞台クラスのお知らせはこちら↓
https://kotobanoie.net/spra/#kojiki
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