2017年04月25日

われらが萬葉集 【山上憶良 志を繋ぐ 中将ゆみこ】


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宇治敏彦氏制作板画

  
二番目にご紹介するのは、中将ゆみこさんです。この度の舞台では、クリスタル・ボールの演奏も荷はれます。
 
 
【憶良からの呼びかけ 中将ゆみこ】
 
「憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ その彼の母も 吾を待つらむそ」 (「宴を罷る歌」三三七)
 
こんな歌を詠んで、飄々と宴席を退出するとは、なんと温かく粋な人であったのだろう。国語の教科書で出会った山上憶良という万葉歌人は、「貧窮問答歌」を詠う社会派であると同時に、子供に較べれば金銀も何ほどのものだと詠う子煩悩な家庭人であった。
 
そんな印象に対して感じていた親しみやすさだけを頼りに、憶良の歌を取り上げることにした私は、ほどなく困惑することになる。
 
調べてみると、憶良の主な歌は、晩年、七〇歳頃から作られている。「子らを思へる歌」は、幼子を慈しむ若い父親による歌ではない。「貧窮問答歌」は貧者の生活に直面して作られたものではない。憶良は国守であり、為政者の立場だったのである。「宴を罷る歌」は、その席でおそらく最も位が高く、年長者である国守・憶良が宴をお開きにして、若い人たちを帰らせようとしたものとも考えられる。
 
無位無冠の人でありながら、自らの才覚によって、四二歳で遣唐使に選ばれたほどの学識者であった憶良は、漢籍に通じ、仏教や儒教にも造詣が深く、硬質で哲学的な漢詩漢文を残してもいる。しかし、晩年期には、やまと歌でさまざまな立場の人の歌を詠んでいる。子を亡くした人の歌、妻を亡くした人の歌、貧しさや病に苦しむ人の歌、近づく死に苦しむ人の歌、親を置いて死んだ若者の歌、・・・。どこまでが実人生の体験なのか、他者になりかわっての作なのかわからないほど、憶良は克明に歌い上げる。
 
 
憶良という人の素直な感情はどこにあったのだろう。憶良がやまと歌で残そうとしたものはなんだったのだろう。憶良の歌を自分の声に乗せようとすると、説教じみてとまどう日々が続いた。解説本や評論本を何冊か読んだが、答えは得られなかった。憶良が生きた奈良時代が、よく万葉集の歌風の評価にあるように、素朴でおおらかなと言ってしまえるものではないことだけがわかってきたのだが・・・。
 
言語造形とは不思議な業だと思う。憶良の歌を何度も声にして、稽古をつけてもらい、ただひたすら音の響きに耳を傾ける。頭で考えること、自分の意図をはさむことを排して、汗ばむほど体を動かして声を出す。繰り返すうちに、少しずつ憶良の歌が私に染みこんでくる。そうすると、憶良が話しかけてきてくれるわけではないのだが、憶良の歌の精神とでもいうものが、見えてきたような気がするのである。
 
言霊への畏敬の念。普遍の人生苦に対して鎮魂の歌を捧げる歌詠みとしての自覚。国を思い、身近な人を思い、若い世代を思う心。文字に収まらない激しくもやさしい慈愛に触れて、私は日本人として、わたしなりにこの志を継いでいきたいと思うようになった。おそらくは憶良も繋いできてくれた 志を。その志を、私は現代に生きる自分の身体を以て、其の都度迎えに行こう。それが、言語造形という行為なのだ。
  
万葉集に残されたやまと歌を通して、先人達が繋いでくれた志に触れて戴けたらと願って演じます。楽しんでいただけたら幸いです。
 
 
中将ゆみこ(ちゅうじょう ゆみこ)プロフィール
一九六四年京都府生まれ。元国語科教諭。三児の子育て中、一〇年をシュタイナー育児のサークル運営に関わる。二〇〇四年より言語造形家 諏訪耕志氏に師事。二〇〇五年よりインターナショナルスクールで国語教育に携わる。日本声診断協会音声心理士。クリスタルボウル演奏と言語造形の語りの公演活動をしている。
 
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      https://kotobanoie.net/play/


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