
【額田王の道 鹿喰容子】
言語造形で萬葉集に取り組み、私が皆さんにいちばんお話ししたいことは自分が見つけたひとつの幸せです。
私は萬葉集をキリスト教文化における新約聖書のようなものだと理解しています。大陸文化の到来や壬申の乱によって、日本人はそれまで調和して生きていた八百万の神さまたちを自然と呼び手の中に入れることを始めました。それでもそこには神さまが人の手の中には納まらないものだと知っている人たちもいました。その人たちの想いが集められたのが萬葉集のように感じるからです。日本人が神さまからひとり立ちを始め、仏教の到来で自らの感情に「正しい」「間違い」という判断を持ち始めた頃のことです。
萬葉集はやまとことばで謡われていて、それらの印象は現代を生きる私には詩歌というより音楽に近いです。意味や内容ではなく響きが届くからです。ことばを響きとして受け止めるとき、私にはことばに込められた、しっかりと息吹く想いが伝わりました。日常とは逆のこの感覚は、私に日本語の美しさを思い出させてくれました。母国語の美しさに出会えた幸せはことばにはなりません。
私が選んだ額田王は、萬葉集の初期、日本がこのように大きく変わろうとする少し前に生きた人です。世の中のいろいろなことが完了し、先行きは見えず人々は行き詰まりを感じていたのではないかと想像できます。その時代を選んで生まれてきた額田王は、自らが日本にあり、日本が地球の中にあり、地球が神さまの住む宇宙の中にあるとても小さなものだと知っていた変化の前を生きた最後の人だったかもしれません。神さまの大きな愛に静かに耳を傾けその人生の答えを神さまの判断に託すことを選ぶことのできた彼女は、皇族のひとりとして歌詠みのひとりとして自分の感情を神さまの声にまで高め歌に詠む人生を歩みました。
私は額田王の和歌のおかげで、自分の小さな頭で判断することをやめ神さまの大きな頭に判断を委ねることに出会いました。判断を神さまに委ねることは、自分の心に正直であることから始まり、自分を宝物のように大切にすることにつながりました。そしてそれはまわりの人を大切にしていることへとつながりました。私はこれをとても幸せなことだと感じました。自分の心を抑えてまわりの和を大切にしてはせっかくの和も崩れ悲しい思いをしていた以前の自分を今は気の毒に思います。
私たちは八百万の神さまのいる国に生きています。私たち日本人はもっと我が儘であっていいと思います。それは自分勝手な判断をやめ、自分の感情に正直であるべきだということです。ひとりの私より八百万もいる神さまの方が良い判断をできるのですから。
「われらが萬葉集」クラスに、諏訪先生とクラスメートに、額田王に、萬葉集に、日本の古典に、そしてこのクラスを選んだ私に心から感謝しています。
日本語の美しさと、日本人であることの喜びが皆さんに届きますように。
鹿喰 容子(ししくい ようこ)プロフィール
一九七二年愛知県名古屋市生まれ。造形美術家。キャンプヒル共同体での生活体験を経て二〇〇二年よりヨーロッパにて造形美術と酪農を通してアントロポゾフィーを学ぶ。二〇一五年よりことばの家にて言語造形家諏訪耕志氏に師事。
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