2017年04月14日

こころのこよみ(第1週) (再掲)


CIMG2479.JPG

 
今日は、「ことばの家」生誕劇クラス第一日目でした。
 
そして今日は、キリスト・イエスが磔刑に処されし日です。
 
お話しを伺つてゐるうちに、この日に集ふことが必然であるかのやうな方々が集ふたこと、そしてこのプロジェクトは、わたしの個人的な想ひを遥かに超えるやうな計らひの下に始まつてゐるのだといふことが「おぼろげに」分かつてきました。
 
真冬のクリスマスに向けて、わたしたちの歩みが始まりました。
 
あさつての復活祭はキリストの甦りを祝ふ大祝祭日です。
 
そして、キリストはみづからを「世のことば」と呼ばれました。
 
復活祭の日とは「世のことば」が墓から甦りし日です。
 
わたしたち「ことばの家」は、死んでゐる文字からことばが響きとなつて活き活きと息を吹き返すこと、「ことばの復活」を、「日本語の甦り」を、希求してゐます。

磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ 真幸くありこそ
(萬葉集 三二五四) 
 
以前掲載した『こころのこよみ 第一週』です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
『こころのこよみ(第1週) 〜復活祭の調べ〜』
 
 
世の廣がりから、
 
陽が人の感官に語りかけ、
 
そして喜びがこころの深みから、
 
光とひとつになる、觀ることのうちに。
 
ならば、己れであることの被ひから廣がり渡る、
 
考へが空間の彼方へと。
 
そしておぼろげに結びつける、
 
人といふものをありありとした精神へと。

 
 
 
Wenn aus den Weltenweiten
Die Sonne spricht zum Menschensinn
Und Freude aus den Seelentiefen
Dem Licht sich eint im Schauen,
Dann ziehen aus der Selbstheit Hülle
Gedanken in die Raumesfernen
Und binden dumpf
Des Menschen Wesen an des Geistes Sein.
 
 
 
自分自身のこころが、光とひとつになり、喜びに溢れだす。
 
陽の光(外なる自然)と、こころの光(内なる自然)が、ひとつになる。
 
この春、わたしは、そんなおのれのありようを觀てゐる。
 
ものをぢつと見る。ものもぢつとわたしを見てゐる。
 
ものをぢつと、見つめるほどに、ものもわたしに応へようとでもしてくれるかのやうに、樣々な表情を見せてくれるやうになる。
 
そんな、わたしとものとの關係。
 
それは、意欲と意欲の交はりだ。
 
その交はりのなかからこそ、喜びが生まれる。
 
そして、喜びこそが、わたしのこころを空間の彼方へと擴げてくれる。
 
とかく、狹いところで右往左往しがちな、わたしの考へ。
 
だが、觀ることによつて生まれてくる喜びが、わたしによつて考へられる考へを、自分なりの考へ方、感じ方といふいつものおのれの被ひを越えて擴げてゆく。
 
それによつて、新しく、生まれ變はつたやうなこころもち。こころの甦り。わたしだけが行ふわたしだけの復活祭。
 
そして、ありありとした精神は、そこに。生活を新しく開く鍵は、まうすぐ、そこに。
 
しかし、まだ、しつかりとは、その精神とは結びつくことができない。ことばといふ精神が降りてくるまでには、聖靈降臨祭(復活祭の50日後、七週間後)を待つこと。
 
いまは、おぼろげに、結びつくことができるだけだ。そんなおのれのありようを觀てゐる。
 
 
 
世の廣がりから、
陽が人の感官に語りかけ、
そして喜びがこころの深みから、
光とひとつになる、觀ることのうちに。
ならば、己れであることの被ひから廣がり渡る、
考へが空間の彼方へと。
そしておぼろげに結びつける、
人といふものをありありとした精神へと。

  
 
※写真は、桜の花の下で酒に酔ひつつ。


posted by koji at 20:28 | 大阪 | Comment(0) | こころのこよみ(魂の暦) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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