2017年03月05日

先入觀からの自由


淺はかな世相に便乘して、
「ヘ育敕語」を復唱することを大事にしてゐる人たちを、
非難・揶揄してゐる人たちに、とてもこころが痛む。
 
實物の「ヘ育敕語」を讀んだ方がいいと思ふ。
 
そこには、
自國の歴史・文化・精神を汲みとつた、
人として生きていく上での崇高な理念と期待が、
述べられてゐる。
 
それは、
たかだか戰後七十年の間に
固まつてしまつてゐる價値觀を優に超える、
歴史精神に根差したものだ。
 
アンパンマンの歌を歌ふのもいいだらう。
聖歌を歌ふのもいいだらう。
しかし、自分の國を愛し、
ご先祖樣たちが築きあげてきた文化・文明の粹である、
このやうな「ことば」をからだまるごとで響かせることが、
子どもたちの成長にとつて、
人閧フ成長にとつて、
悪く働きかけていくと思ひこんでゐること。
それは、先入觀ではないだらうか。
 
そのやうな先入觀から自由な、
被害者意識から自由な、
自分自身と家庭と母国の出自に、
誇りをもつ、
そんな日本人が、
これからは世界に必要とされてゐるやうに念ふ。
 
「ヘ育敕語」は、
イデオロギーを植えつけるものだといふ先入觀から、
自由になること。
それはひとつの自己ヘ育である。
 
人は、ヘ育を選ぶ自由があつていい。


posted by koji at 09:55 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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