執行草舟氏が、
著書『友よ』の中で、
一遍の詩、
「そんなに凝視めるな」を取り上げながら、
伊藤靜雄といふひとりの詩人、
ひとりの男について、
書いてゐる。
私は、その詩もさることながら、
この簡單な人生をこそこよなく尊敬する。
現今の世の中を見るにつけ、
伊藤靜雄のやうな旧い男の美しさが
より鮮明にわかる時代となつた。
つまり伊藤靜雄の人生を考へる時、
私は日本の男の生き方を考へてゐるのだ。
いはゆる恩に生き、
名聲を求めず、
簡素に生き、
默々と働く。
そして家族の生活を支へ、
文句を言はず、
減らず口は叩かず、
眞の生活から生まれる行によつて、
肚の底から絞り出されるものだけを
この世に殘し、
默つて死ぬ。
これが眞の日本男子の生き方だと
考へさせられるのである。
(原文は、現代假名遣ひ、當用漢字、改行なし)
この文章の後、
詩「そんなに凝視めるな」の一行一行が、
執行氏によつて讀み込まれる。
人間の深い優しさから溢れ出てくる、
逆説のことば。
そのやうな、
生きることの、
痛みと悲しみを知るが故の優しさ。
その優しさから生まれてくる、
逆説的なことばを発する人に、
わたし自身これまでの人生で接したことがなかつた。
それ故、
伊藤靜雄の詩をこれまで愛唱してきたが、
その詩には、長いあひだ、
その内なるたましいを豫感しながらも、
なぜか、こころにほどきえぬ、
隔靴掻痒のもどかしい想ひを抱いてゐた。
が、執行氏によつて、
この詩が取り上げられ、
長い年月のあひだのこほりが溶けたやうに感じた。
この『友よ』といふ書、
執行氏の全体重がかけられた一文一文で綴られる、
そのやうな文章が全四十五章。
四十五の詩歌が取り上げられ、
どの章を讀んでも、
その詩と詩人に惚れ込んでしまふ。
伊藤靜雄の詩をここに記しておきます。
そんなに凝視(みつ)めるな わかい友
自然が与へる暗示は
いかにそれが光耀(くわうえう)にみちてゐようとも
凝視めるふかい瞳にはつひに悲しみだ
鳥の飛翔の跡を天空(そら)にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪へる痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ
風がつたへる白い稜石(かどいし)の反射を わかい友
そんなに永く凝視めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ
(「そんなに凝視めるな」伊東静雄)
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