今の奈良縣櫻井市に、
千四百年ほど前に聖徳太子が造られた、
我が國最初の國立劇場と演劇研究所である、
土舞臺(つちぶたい)を訪れました。
今は、櫻井兒童公園になつてゐるその場に立つてみて、
千四百年前の漲るやうな情熱とこころざしに對する、
盛んな想像力が自分には必要だと感じました。
その丘は、何の飾り氣もない、
決して大きくはない廣場でした。
しかし、その周圍は、
遠き世を遙かに見渡すやうな景色が擴がつてをりました。
すぐ東には、
三輪山をはじめ、
神武天皇による靈畤(まつりのにわ)を頂上にもつ鳥見山、
西には、
大和三山をはじめとして、
はるか向かうに、
生駒山、二上山、金剛山、葛城山が見渡せます。
遠世の丘です。
そのやうな場に、
我が國の舞臺藝術の育成を、
意識的に、意欲的に、なしていかれた聖徳太子の精神。
そこから、
奈良の春日大社や、
大阪の住吉大社、四天王寺での藝能へ、
さらには猿樂、能などへと、
創造的に發展していつたその發祥の精神。
大阪の帝塚山の「ことばの家」へ、
その精神を分け御靈(みたま)させていただきたく、
日本の國史の淵源に繋がりたく、
己れの創造力を太くしてゆきたく、
聖地を訪れました。
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