2017年02月10日

本居宣長 うひ山ふみ


IMGP7317.JPG

  
 吾は、あたら精力を、外の國の事に用ひんよりは、
 わがみづからの國の事に用ひまほしく思ふ也、
 その勝劣のさだなどは、しばらくさしおきて、
 まづ、よその事にのみかかづらひて、
 わが内の國の事をしらざらんは、くちをしきわざならんや

 

よその事にのみかかづらふ、
その口惜しさは、よく分かるやうに思ひます。
 
なぜ口惜しいか。
 
それは、よその事にかかづらはつてゐるうちに、
いつしかおのづから己れの内のことを蔑ろに思ふやうになり、
あちらを優に持ち上げ、
こちらを劣に貶めるやうになつてしまふからです。
 
まことは、優か劣か、といふ問題ではなく、
比較を絶した、
主體性の問題だと思ふ。
 
つまり、「わたしはわたしである」、
さらには、「わたしはある」といふ、
神の名そのものでもある、このことばを、
深く己れのものにすることにあるのでは・・・。
 
己れをみづから貶めてしまふことの弊害は、
恐ろしいものです。
 
個人のことから國家のことにまで、
そのことは云へるやうに思ひます。
 


posted by koji at 21:32 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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