2017年02月04日

學びつつ歩きつつ 〜歴史と風土教育〜


CIMG1350.JPG
崇神天皇の磯城端垣宮の前の景色


以前に比べて、自分も含めて、
神社や歴史的遺蹟を巡り歩いてゐる人が、
多くなつてきたやうに思ひます。
 
多くの人が、
思ひ出すべき何かを思ひ出さうとして、
さういふ所を訪ね歩いてゐるのだと感じる。
 
ここ数年、奈良の大和路の邊りを歩いてゐて、
つくづく感じたことが、
我が國の文化と歴史を知りながらかういふ所を歩いてゐるのと、
知らないで歩いてゐるのとの違ひは大きい、
とてつもなく大きい、といふことでした。
 
そして、かういふ學びと行爲は本來、
小學生、中學生、高校生のときにやつておきたいよな、
といふことです。
 
いまの大抵の修學旅行や遠足などは、
ただのレクリエイションになつてしまつてゐて、
學校では我が國の歴史や文化のなりたち、
敬ふべき大切なものをなんら教へずに、
ただ子どもたちを名所舊蹟に引つ張つていき歩き廻らせてゐる。
子どもたちには何の感興も感動もない。
酷いものになると、
ディズニーランドや、テーマパークなどに連れて行つて、
子どもたちの淺はかな機嫌を取る。
 
歴史や風土を教へるにも、
子どもたちが我が國、我が土地、我が風土に、
誇りと美しさを覺えるやうな、
人の成長にふさはしい教へ方と内容が必要です。
 
そのやうな教育の根源は、我が國に於ては、
幸ひながら、古典作品に收められてゐます。
聲高に叫んだりしませんが、靜かに收められてゐます。
 
我が國の古典作品は、我が國の土着のものでありながら、
どこまでも高くて深い見識をいまだに湛えながら、
わたしたちのこころのとばりの向かう側に、
ひつそりと佇んでゐます。
 
その古典を學びながら、
そこから歴史と文化を知らうとしながら、
その固有の精神・神々と、
土地の精神・地靈の方々との、
交はりを求めてその傳來の土地の上に足を踏み出していく。
 
その足をもつての學びは、
なぜか人に自己肯定感と、
故郷に戻つた時のやうな、
どこまでも深い安心感を齎すやうに思へてなりません。
 
多くの問題、こころの問題のおおもとは、
己れの出自・源に對する不見識、否定感、不信感にある。
 
個人のこととしても、一國のこととしても、
わたしたちは子どもへの教育のあり方から、
大人自身の自己教育の方向性まで、
自分の足元を見直すやうなあり方を探つていきたい、
さう考へてゐます。


posted by koji at 16:53 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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