2016年12月19日

日本の家庭 (二) 〜靈異なる巫女性〜  


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昔の日本の家庭の中に於る父親像を見るまへに、
まづは母親像、女性と云ふもののありやうを
見てみたいと思ひました。
 
女性のしてゐたことのひとつは、
夜ごと爐邊で、昔噺を語ることでした。
 
その昔噺とは、輸入物の寓話や譬喩ではなく、
家の物語であり、村の物語であり、
また國の歴史に繋がる物語でした。
 
それは、素朴なかたちの「神がたり」でした。
 
その語りは、インタヴューできない對象を語るのであつて、
人智で測りきれないものを物語るのでした。
 
わたし個人の想ひ出ですが、
祖母が同じ噺を繰り返し繰り返し布團の中で、
幼いわたしをあやしながら語つてくれました。
 
その噺は、家のお墓にまつはる實話で、
何度聽いても、
身の震へを抑へられない怖い噺だつたのにもかかはらず、
わたしは幾度も祖母にその話をしてとせがんだものでした。
 
祖母は、その噺が眞實であることを固く信じてゐました。
それは彼女の暮らしの底から生まれてゐる、
生きた人生觀からのものだと感じました。
わたしたちの人生は、すべからく、
神佛が見守り導いて下つてゐるとの信でした。
その信仰のあり方は、祖父が持つてゐた觀念的なものよりも、
より親身なものであり、靈感的なもののやうでした。
 
民族學者である柳田國男の『妹の力』を讀んでみますと、そこには、
古來から女性のもつてゐる靈異な力に就いて描かれてをり、
その力が實に家の運命をも左右するものであることを、
體感・痛感せざるをえなかつたため、
いかに家の男性がその「妹の力」を畏れてゐたかが描かれてゐます。
 
ある場所や、ある期間に於て、女性を忌む風習も、
實はその靈異の力を尤もよく知る男性が、
それを敬して遠ざけてゐたことから生まれてきたのだと云ふことが分かります。
 
祭祀や祈祷の宗教上の行爲は、悉く婦人の管轄であつたこと。
 
巫(みこ)は、我が國に於ては原則として女性であつたこと。
 
昔は、家々の婦女は必ず神に仕へ、
その中の尤もさかしき者が尤も優れた巫女であつたこと。
 
なぜこの任務が女性に適すると考へられたのか。
それはその感動しやすい習性をもつて、
何かことあるごとに異常心理の作用を示し、
不思議を語り得た點にあると云ふこと。
 
女性は、男性にはしばしば缺けてゐる精緻な感受性をもつてゐること。
その理法を省み、察して、更に彼女たちの愛情から來る助言を、
周りがいま一度眞摯に受け取らうとするなら、
その仕合はせは、
ただ一個の小さな家庭を恵むにとどまらないであらうと云ふこと。
 
 
このやうな妹の力が、
爐邊の女性による物語りとして、神がたりとして、
わたしたちの昔の暮らしの内々に息づいてゐたのでせう。
 
しかし、この爐邊の妹の物語り、母の物語りも、
日本の父が荷つてゐた道徳の文化、
教養のしきたりが失はれていくにつれて、
共に失はれてきたのです。

第一囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/444941046.html?seesaa_related=category
第三囘 http://kotobanoie.seesaa.net/article/445318564.html?1482901681


 


posted by koji at 13:33 | 大阪 ☀ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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