2016年12月15日

ものへゆくみち 〜萬葉集より〜


我が國の古(いにしへ)よりの暮らしの美しさ。

それは、
ものと云ふものを愛(いつく)しみ、
ものと云ふものに神を認め、
ものと云ふものの内側に入つていくことで、
世の森羅萬象に美を見いだしてゐたわたしたちの暮らしでした。

江戸時代の國學者、本居宣長は、
そのやうな自他の境を越えてひとつになつてゆく暮らしの方法を、
「ものへゆくみち」と謂ひました。

山をも、海をも、空をも、風をも、
いのちある自然とみて、
それらに包まれ、語りかけられてゐる己れを感じる。

暮らしの中の器物ひとつひとつとの交流。

いただく米、一粒一粒を通つて、
大いなるものに向かふ、人のまごころ。

ことば數は少なけれど、唇からこぼれるひと言ひと言の豐かさ。

今の暮らしは、昔とは隨分樣相は變はつてしまつたけれども、
さう云ふ「ものへゆくみち」を、
たつたいまからでも、
わたしたちは歩きはじめることができるのだと思ふのです。



先日の萬葉集のクラスで、大伴家持の歌が取り上げられました。
歌の季節は、いまとずれますが。

 春の苑(その)紅にほふ桃の花
 下照(したで)る道に出で立つ少女(をとめ)


この歌を詠んだ當時、家持は深刻な運命を生きてゐました。

しかし、それにもかかはらず、
彼は目の前の風景すべてに神を觀るがゆゑに、
ここに描かれてゐるものと云ふものすべてが、
まぼろしのやうに彼のこころの視界に浮かび上がり、
空間の彼方へと美しい心象となつて擴がりゆく。

まるで自分のからだが輕くなり、
透明になつたかのやうに感じながら、
言語造形を通して、息を解き放ちつつ、聲を響かせると、
この歌からさう云ふ感覺がからだまるごとで味ははれます。

目に見えないもの、こころに映る心象風景、
さう云ふものともひとつになることのできる、こころの力を、
昔の人は育んでゐたやうです。
 

浮き沈み おほわだつみに 漕ぎ出づる 舟導かむ 古人(いにしへびと)は
諏訪耕志



posted by koji at 16:27 | 大阪 ☀ | Comment(0) | やまとうたの學び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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