2016年11月27日

憧れ


わたしには憧れてゐることがあります。
 
日本語を話すこと。聽くこと。
そのことが藝術であることを、
多くの日本人が想ひ出すことです。
 
想ひ出して、日本語を大切にする氣風が甦ることです。
 
さうなると、日常生活にをいても、
日本人自身が日本語を叮嚀に扱ひ始めます。
 
叮嚀に扱はれるとき、
ことばはことば自身が持つてゐる力を放ち始めます。
 
そして、ことばそのものが、
人のこころを活き活きと輝かせ始めるのです。
 
こころが活き活きとしてゐるから、
ことばが力を持つのではないのです。
ことばが叮嚀に扱はれるからこそ、
人のこころが叮嚀に育まれ、輝き始めるのです。
 
表面的に「ことばを美しく話す」と云ふ、
おためごかしのことではなく、
ことばそのものに誠實に向き合ふ、
全身全靈でことばに向かひ合ふと云ふ、
そんな、ことばの道が、
昔から日本では大事にされてきました。
 
昔の日本では、かう云ふことは、
云はば當たり前のことだつたのかもしれません。
 
いまのやうに、なんでも、
見たり、聞いたり、言へたりできるやうな世ではなく、
云はば「見ざる、聞かざる、言はざる」と云ふ、
三猿の教へのやうなものが、
昔は當たり前に人の身についてゐたゆゑに、
人はことばにもつともつと敏感だつたのでしやう。
 
しかし、いまは、
そんな當たり前のことを本當に大切に守り、育まなければ、
それらがどんどん壞され、失はれていきます。
 
わたしは、そんな道が展かれるやうな仕事に就きたい、
新しい日本の傳統が樹てられるやうな仕事の一助になりたい、
そんな憧れを抱きながら言語造形と云ふ仕事をして、
毎日を過ごしてゐます。
 
言語造形と云ふことばの藝術は、
日本の精神文化の中で意識的に育まれていくことで、
これから先、數百年以上をかけて、
新しい日本文化の傳統のひとつになつてゆきます。

そして、それはわたしたち日本人の、
古(いにしへ)からの眞の傳統文化でもあるのです。
 
そんな憧れをもつてゐると、
毎日學びたいこと、したいことが一杯です。
 
樣々な分野でも、一脈通ふやうな、
同じやうな憧れをもつていらつしやる方、同志よ、
ご縁があるならば、どうぞこの憧れを共に荷つてください。
 
來年に向けて、具體的なことを、
少しづつ語つていきたいと思つてゐます。
 
どうぞよろしくお願ひします。
 


posted by koji at 16:55 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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