2016年11月06日

その地にて朗唱す 〜二上山に登って〜


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日本の古典の學び。
 
それは、一册の本を何年もかけて、
丹念に繰り返し讀み深めること、
更に、歌枕や傳説の地と謳はれ語られてゐるところに、
足を運ぶこと、
さう云ふ長い年月の意欲の働きによつて、
稼がれていくものだなあと感じてゐます。
 
自分にまとはりついてゐる先入觀や、
現代風の考へ方、感じ方、などから自由に離れつつ、
いにしへの人の「こころ」に近づかうと希ひつつです。
 
また、より直かな古典の學びとして、
わたしたちは、
そのやうな歌枕や聖なる地に立つて、
まさにそこで歌はれた和歌(やまとうた)や、
物語の一節を朗ずることができます。
 
その聲がかすかにでも響く、そのとき、
既にこの世から離れられた、
わたしたち日本人の先御祖(さきつみおや)の方々との、
ひそやかですが、
確かに感じられる交はりが生まれ、
慰めと安らかさの情が立ち上がり、
わたしたち自身のこころも太るやうに感じるのです。
 
千年とそれ以上の年月を閧ノ於て、
いにしへの方とわたしたちの閧ナ、
歌とことばを介して交流が生じます。
 
そんなことを直かに感じることができるのも、
その地に足を運ぶからでもあります。
 
今日は、大津皇子(おほつのみこ)が死を賜り、
葬られてゐる二上山(ふたかみやま)に登りました。
 
皇子が死を目前にして詠んだ歌です。
 
  角障(つぬさは)ふ 磐餘(いはれ)の池に 鳴く鴨を
  今日のみ見てや 雲隱(くもがく)りなむ
 
 
さらに、皇子の姉である大伯皇女(おほくのひめみこ)が、
弟の死を悼んで歌つた歌です。
 
  うつそみの 人なる吾(あれ)や 明日よりは
  二上山を 我が兄(せ)と吾(あ)が見む




posted by koji at 22:46 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 断想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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