今日はあまりにもお天氣がよくて、
こんな秋の日にはどうしても行きたくなり、
妻を誘って、またまた三輪山の邊りを歩き廻りました。
わたしは、古事記で語られ、萬葉集で歌われている場所に立ち、
その場にいまだに生きている神々と人々の思いを全身で感じたい。
妻は、より精神的、直感的な感覺から、
古代の神々や人々と、
自分自身とがリアルに繋がっていることを確かめたく思っていて。
JR櫻井線の卷向(まきむく)驛で降りて、
三輪山の北に續く卷向山に入っていき、
第十一代垂仁天皇の纒向珠城宮跡(まきむく たまきのみやあと)、
そして、第十二代景行天皇の纒向日代宮跡(まきむく ひしろのみやあと)を訪れました。
秋の日の光を浴びながら、どこかに水の流れを聽きながら、
その卷向山へなだらかに登っていく道は、
わたしたち二人に明るく開かれた暖かい思い、
そしてなぜかとても懷かしい念いを抱かせるのでした。
その卷向山の西の麓に擴がる地は、
纒向遺跡(まきむくいせき)というところで、
そここそが邪馬臺國であったとも云われているそうです。
そして、この卷向は、昔、穴師(あなし)とも呼ばれていて、
萬葉集歌の頂きをなしたと思える柿本人麻呂は、
この穴師出身の山人(やまびと)であり、
山人は、すなわち、神人であった、
そう保田與重郎が書き記しています。
卷向の痛足(あなし)の川ゆ往く水の絶ゆることなくまたかへり見む
卷向の山邊響(やまべとよ)みて往く水の水沫(みなわ)のごとし世の人われは
絶ゆることなくまたかへり見む。
水沫(みなわ)のごとし世の人われは。
わたしも、こころの中で、今日、そう歌っていました。
柿本人麻呂歌集中の歌として萬葉集に收められている歌です。
そして、さらに山道を奧へと入っていき、
穴師坐兵主神社(あなしにいます ひょうず じんじゃ)を訪れました。
そこは、もうことばでは何も言えないほどの、
靈的な何か、精神的な何かを、わたしにもたらしたように感じました。
保田は「社殿の構へには蒼古幽遠の俤(おもかげ)が濃い」ということばも殘しています。
妻は、そんな保田のことばは知らず、
その場にいてとても靈的な感覺を語っていましたが、
わたしもその感覺を共有したように感じています。
そのあと、山の邊の道を南へ、
檜原(ひばら)神社から大神(おほみわ)神社へと下っていきました。
大神神社に着いた途端、待っていてくれていた樣に、
御神輿が鳥居前に擔がれてきました。
一年の内最も大切な祭であろう、
新嘗祭である秋の大神祭がおこなわれている最中でした。

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