
昨日、南 ゆうこさんご一家と一緒に、
家族そろって奈良の大神(みわ)神社に参拝したあと、
そこで齋祀(いつきまつ)られている三輪山に初めて登ってきました。
山そのものが神であると。
だから山に入るということは、
神さまの體のうち、胎内に入ることだと、
登山前に神社の方が傳えてくれました。
御神體(ごしんたい)の内に入ってゆく、
その一歩一歩に、
様々なことを感じながらの登山でした。
いろいろな予備知識や教義はおいておき、
感覺を洗い、研ぎ澄ませながら、
ただ御山に向かうこと。
そうして、下山したあと、
我が國の古い神道における自然(かむながら)觀念で
「鎭魂(みたましづめ)」のことを想い出しました。
そもそも、その「鎭魂(みたましづめ)」とは、
ふたつの意味合いをもっていました。
ひとつは、
わが體(からだ)から離れていこうとする魂を、
身の内に蔵(おさ)め、
こころを鎭め、落ち着けること。
もうひとつは、
世の萬物に満ち満ちて行き渡っている、
靈妙な精神をわが身の内に取り入れ、
魂を太らせていくこと。
全身に滝のような汗を流しながらの、
昨日の御神體(ごしんたい)・三輪山への登頂下山は、
そのふたつの徳用(さきわい)を共に感じさせてくれたように思います。
そして、驚いたのは、
子どもたちが裸足になって、
三時間近くかけての登頂下山を成し遂げたことです。
神に近い彼らは、羽が生えたように御山を、
ほとんど駆け足で駆け上り、駆け下りていきました。
【神の社を訪ねての最新記事】