日本人であること。
それはどういうことなのか、という問いに取り組んでいて、
ある勤しみがどうしても欠かせないとあるときいたく感じた。
「God」や「the Almighty」、「divine」、「Got」、「Dieu」などとは違い、
わたしたちの言語によって言い表されている「かみ」「カミ」「神」とは、
いったい何を表し、
また「天皇」という御存在は何を意味するのか、
それらの意味の深みを汲み取りつづけていくこと。
その勤しみである。
そのためには、我が国の歴史と傳統を學び直すことが、
自分にはどうしても必要だった。
その基本的な學びのはじめとして、
わたしはこの本を平成二十六年七月に手に入れ、
それ以来、一年に一度讀み返し、この夏で三回目の再々讀。
先の戰爭における昭和二十年八月十五日正午。
そのとき、いったい何が起こっていたのか。
そのとき、
多くの日本人に感じ取られたという「あのしいんとした靜けさ」に、
何を聴き取ることができるか。
そのことの解き明かしをもって、
わたしたちは、日本人の神學を打ち樹ててゆく。
日本人が日本人として生きていくためには、
自分たちの神學がどうしても要る。
それは、わたしたち日本人と神との關係、
わたしたち日本人と天皇との關係を解き明かしていく學びだ。
普遍的な人間など、どこにもいない。
日本人は、日本人になろうとする勤しみの中で、
おのずから普遍的な眞理をからだの奥底から立ち上げていくのだから。
それは、決して、
知識の輸入物でないのは勿論のこと、
外部からの装着によって身につく代物ではない。
普遍性は土着性からのみ生まれてくる。
そう、神學とは、己れの立っている場所において、
精神を汲み取り聴き取る、その営みから始まる。
そして、私たち日本人にとって、
先の戰爭とそのあとの時間の流れの内實を、
歴史の流れの中で見はるかし、見とおし、見定めていくことが、
わたしたちの未來を健やかに導いていく。
昭和二十年八月十五日、
われわれの時間は或る種の麻痺状態に陥って、
そのまま歩みを止めてゐる。
しかし、その麻痺状態は、それ自體が一つの手がかりである。
そこに何か大事なものがあり、
それを忘れ去ってはならないことを、
人々が無意識のうちに察知してゐるからこそ、
日本人の精神史は、そこで凍結し、歩みを止めてゐるのである。
(序文より)
七十一年前の八月十五日に発せられたあの玉音放送から始まった、
我が國における精神の凍結。精神の不在。
そして、昨日、八月八日十五時の、
ビデオメッセージによる今上天皇のおことば。
それを、わたしたちの精神の解凍、新しい誕生に向けて、
極めて秘めやかな機縁にするのも、わたしたち次第である。
そのことを陛下は心中深く希っておられる、
そう感じた。
今日は、旧暦の七月七日、七夕の日だ。
家族そろって、祈りのことば、願いのことばを書き記し、
庭の木に吊り下げた。
天への祈りは、
この大地に立つわたしたち人から捧げられる。
この夏、この本の文庫本が出た。
文庫本のみの桶谷秀昭氏によるあとがきも滋味深いこと限りない。
こころからお勸めします。
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