2016年03月18日
ことばと子どもの育ち(4) 〜ことばの芸術?〜
学校がなくとも、特別な教育施設がなくとも、
子どもがこの世に生まれてきて最初のおおよそ七年間、
昔の日本の多くの親たち、大人たちは、
その幼な子に「芸術的なことば」をふんだんに聴かせていました。
「芸術的なことば」?
それは、わらべ歌であり、子守唄であり、労働歌であり、
祭りのときの唱え事、祝詞、わざをぎ(お芝居)であり、
そして、昔話、語り物であり、
人と人との語り合いでした。
頭からの知性をもって世間を切り回し、生き抜いていく現代ではなく、
手足を精一杯働かせて暮らしを生きる日々の連続。
そんな昔の日本でした。
その手足の運動から流される汗、
胸のはずみ、こころのときめきから発せられる声、
そういったものが浸み渡っていた毎日。
子どもたちは、
それらリズムに満ちて、
素朴だけれども伸びやかなメロディーに彩られたことばの芸術を、
からだ一杯に享受していました。
テレビもラジオもインターネットもない時代が何百年、何千年、続いたのでしょう。
人の生の声で、手足を活き活きと働かせながら、発せられる歌、お話。
これほど、ダイレクトな芸術はなかったのではないでしょうか。
生まれてから歯が生え変わるまでのおおよそ七年間、
そのようなことばの芸術に包まれ、抱きしめられながら、
多くの日本の幼い子どもたちは、
ゆっくりと大きくなっていったのです。
そして、子どもたちの内側で、
ことばを聴く力、ことばを話す力、ことばで考える力がゆっくりと育っていったのです。
さて、わたしたち現代人は、
この現代的な環境、生活スタイルの真っただ中で、
あらためて、どのようにして、
このことばの芸術からの恵みを取り戻すことができるでしょうか。
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