2016年03月06日
ことばと子どもの育ち(1)〜ことばに抱きしめられる〜
今年の一月に滋賀で行った講演でお話しさせてもらったことを、
かいつまんだ形になりますが、ここに連載します。
(音声を起こしてくださった筒井さん、どうもありがとうございます)
赤ん坊がこの世に生まれてきて、最初に触れる芸術。
それは、そばにいるお母さんの声、ことば、息遣いです。
もちろん、まずは、
食べ物や、暖かく身をくるむ布、睡眠などが欠かせませんが、
母の声、ことば、息遣いには、
赤ん坊がこれからの永い人生を生きていく上で、
欠かせない基としての生きていく力が湛えられています。
それは、いのちの力、エーテルの力といっていいもの。
母の声、人のことばを通して、
そのいのちの力が赤ん坊の全身に働きかけます。
そもそも人が、
朝、寝床から起き上がる、用を足す、朝ご飯をおいしくいただく、
そんな、できて当たり前だと思っていること。
それらのことを内から司っているのが、いのちの力。
そして、本来、人が日々を生きていくための当たり前の力を、
生みだし、呼び起こし、想い起こさせるもの、
それこそが、芸術であり、
最初に触れる芸術が、母の声とことばと息遣いなのです。
それは、幼い子どもにとって、
「天地之初発(あめつちのはじめ)」に鳴り響くことばであり、
差し込んでくる光でもあるのです。
幼い子どもは、
その芸術に触れられ、包まれ、抱きしめられて、日々を生きていきます。
人は、何かを抱きしめることでなく、
何かに抱きしめられることによって、
より、自分自身、「わたし」という存在に目覚めます。
幼い子どもは、
母に、父に、周りにいる大人に抱きしめられることによって、
人の声、ことば、息遣いに抱きしめられることによって、
ゆっくりと己れの「わたし」に目覚めていくのです。
その子の傍にいる大人の深い息遣い、
明瞭で活き活きとしたことば遣い、
それらが子どもを抱きしめます。
ことばのひとつひとつ、
息遣いのひとつひとつが、
子どもの周りに漂い、
見えない手振り、見えない身振りとなって、
子どもを抱きしめます。
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