2016年03月03日

わたしの来し方、行く末(1)


今朝、妻と話しをしているうちに、なんだか、自分が若い頃、いや、子どもの頃に戻ったような気がして、何気なく思い出したことです。
 
自分は、小学生のころから、中学、高校、大学、会社、いずれの場所にいても、周りの人からは、どこかしら「あの人は、ちょっと、変わってる」というような気持ちを持たれていた様な気がしていたこと。
 
何が、どう、変わっているのか、旨くことばにして言えないですし、また、実際はどう思っているのか他者のこころの内は分からないのですが、自分自身の内では、どこか周りから自分が浮き上がっているような感覚がそこはかとなくありました。
 
そういう感覚のとき、寂しさを感じましたが、また、なにかしらうっすらとですが、周りから大事にされているとも感じていました。
 
おかしく聞こえるかもしれません。
 
矛盾しているのですが、周りのみんなはわたしから距離を持ちつつ、こころの深い処ではわたしを見守ってくれているような・・・。
 
周りのみんなとひとつになりきれていず、視野がきゅうっと狭くなっていくような感覚に苛まれている自分。
 
そして、まるで大きな海原にぽつんとある島の上で、それでも凱歌を上げているような自分。
 
いまも、変わっていないのでしょう。
 
いや、これから、変わっていくのかな。


posted by koji at 10:38 | 大阪 | Comment(0) | わたしの来し方、行く末 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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