2015年09月17日

人はみな言語造形をしていた

「感情を交えずに、淡々と声にすることを旨とすべし」
シュタイナー教育において子どもに向かって物語を語りかけるときに、
このことをこれまでよく本などで目にしましたし、人がそう言うのを耳にしました。

しかし、シュタイナー自身がこう語っています。
子どものこころと精神をあまりに強くからだに受肉させることから守るために、
いかに語りかけるか、ということです。

   歴史の物語に子どもが強く情をもってかかわるように、
  教師自身が、人物について、強く情から心を寄せ、敬い、
  あるいはまた憎むに値する人物のことを述べるときには、
  憎しみを湛えて語ることによってです。
  そのことをもって歴史の授業は、
  子どもが物質的になりすぎないことに、ことのほか役立ちます。
           (『メディテーションをもってものにする人間学』鈴木一博訳)


シュタイナーが語っていることがらを長い時をかけて自分自身で確かめてみるに、
語り手自身が、言語造形を通して、ことばに沿うことによって、
おのずから抱かれる深い情を湛えながらことばを発すること、
それは決して聴き手への情の押し売り、頭でっかちな考えの押し付けにはなりません。

芸術とは、人の知性にではなく、情に訴えてくるもの。
要(かなめ)は、語り手の独りよがりな情ではなく、
作品そのもの、ことばそのものに潜んでいる、まことの情が、ものをいうことだと思うのです。
まことの情こそが、子どもたちと、分かち合われ、
その分かち合いは、わたしたちのふるさとである精神の世を想い起こさせます。


また、シュタイナーはこうも言っています。
今度は、子どもをある程度、その子その子に応じてふさわしく地上的にするために、
いかに語りかけるかです。

   子どもがあまりに夢見がちであると気づいたなら、
  その子が言語の唱えられるところ、音楽的なところ、
  リズム、拍を受け止めることのほうへと目覚めるように試みます。
  言語の音楽的なところは、
  <わたし>をからだに入り込ませるのに役立ちます。
  育てる人としては、それを芸術として身につけることが欠かせません。
                               (同書)


ことばの音楽的な側面。
それは、子どもの意欲を強めます。
萎えがちなところに、いのちを吹き込みます。

   いにしえには、
  人がそもそもリズムなしに話すなどありえない代々がありました。
  人がリズムのうちに話そうとする向きをもっていました。
  たとえばなにごとかを言うのに、
  言語造形によらずに言うことはありえませんでした。
                    (『言語造形と演劇芸術』鈴木一博訳)


本当の意味での、人というものの育み。
それには、生の中に、授業の中に、いのちを吹き込む芸術的な情が欠かせません。

そんな情をあまりにも豊かに湛えていた達人のひとりを紹介します。
寅さんです!

  




posted by koji at 21:49 | 大阪 ☁ | Comment(0) | 言語造形 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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