2015年04月16日
『普遍人間学を読む会 第一講C』〜目覚めと眠りのリズム 〜
(散りぬる桜を惜しみつゝ)
普遍人間学第一講の最終回です。
おおよそ、0歳から14歳までの子どもの成長にとって、
大切なことが、まずは、ふたつ挙げられています。
繰り返しになりますが、
ひとつ目は、前回に取り上げたことで、
呼吸こそが子どものからだを創り上げ、とりわけ、感官の生を育む、ということでした。
感官の生を育むとは、
目で見、耳で聴き、口で味わう、などを通して、
世界をより豊かに、深く、活き活きと、静かに、感覚していくための力を育んでいくということです。
傍にいる大人自身の息遣いが子どもの息遣いに日々働きかけます。
そのおのずからな働きかけを通して、
子どもは自分自身の息遣いを深く、活き活きとすることができるのです。
その息遣いのなかで、子どもはものごとをじっと見る力、聴く力、味わう力を育んでいくことができます。
そのような呼吸の仕方を子どもに直接教えることはできません。
ただ、大人が自分自身のすることなすこと、話すことばに深くて活き活きとした息遣いを伴わせることによって、こうした教育がなりたちます。
ここまでが、前回取り上げたことです。
そして、子どもの成長に欠かせないこととして、ふたつ目、
それは、眠りと目覚めのリズミカルな交代を育む、ということです。
子どもは、大人からのふさわしい働きかけを受けなければ、
実は、まだ、眠りと目覚めの交代をふさわしく生きることができないのです。
とりわけ歯が生え変わり始めてから思春期に至るまでの子どもが、何を求めているか。
彼らは、芸術を求めています。
芸術の授業をのみ求めているということではなく、
生きることそのものが芸術に浸されていること、
授業そのものが芸術的であることをこころから求めているということなのです。
なぜならば、芸術とは、ものごとに生命を注ぎ込む作業だからです。
生命、いのちの流れこそが、その頃の子どものからだとこころにとって、なくてはならないものだからです。
そして、芸術に浸された昼の時間の経験こそが、
夜の眠りの時間に健やかに注ぎ込まれます。
昼間、芸術を通して生きたことこそが、
眠りの時間のあいだに変容させられ、
次の朝、新しく起き上がり、立ち上がり、歩み出す、生きる力となって、
その子に授けられます。
眠りの時間、それは、人が天に帰る時間であり、
昼間の経験を携えて、精神の方々にまみえる時間なのです。
精神の方々は、科学的な事柄ではなく、芸術的な事柄を人がもたらしてくれることを待っています。
科学的な事柄は、ある意味、人に死をもたらし、
芸術的な事柄は、ある意味、人に生をもたらします。
ですから、とりわけ、精神の方々は子どもに生の力を授けたいがために、
子どもが芸術的な事柄をもたらしてくれることを待っています。
そして、芸術的な事柄は、大人が用意してあげないと、子どもは自分で賄うことはできません。
子どもは精神的には豊かであっても、地上的にはまだ貧しいのです。
オイリュトミー。
それは、手足をもって、空間を芸術的に、音楽的に、動くことで、
子どもが四肢の重さを克服していくことを助けます。
逆に、動きの速さや巧みさを競うべく、非芸術的に筋肉を鍛えることなどを過度にすると、
その子は、後年、逆に筋肉の弛みに苦しみ、
自分のこころと精神が、からだを思うように動かすことに困難を覚えます。
フォルメン線描。
それは、かたち、フォルムを全身で動くことから始め、
やがて腕と手を通して、
目で捉えたものを明瞭に活き活きと描くことで、
線というもの、かたちというものが、
死んだものではなく、生きたものになりえることを実感していきます。
彫塑。
粘土をこね、質感とかたちを手の中で感じ取ることを学ぶことで、
外のものに対して、知性をもってではなく、
こころの内側で、感情をもって、かたちあるものの法則を捉えていく力を育んでいきます。
言語造形。
それは、思考の伝達のためではない、
ことばのいのちをじかに感覚で捉えること、
ことばが本来もっている芸術性、音楽性、彫塑性、はては宗教性を実感することを人に促します。
これらの芸術の素養を大人自身がみずからのからだとこころをもって育むことで、
生活において、
授業において、
子どもが真に求めているものに直感的に気づいていくことができます。
国語や、算数や、その他の授業も、大人自身のそれら芸術的な培いから、
その場その場で子どもに生命を授けていくことができるものを新しく創っていくことができます。
四肢の重さを芸術的に克服することで、
かたちや線を生命あるものとして感じることで、
ことばが人のまるごとにかかわっていることをじかに感じることで、
子どもは、自分自身の豊かさをありありと味わうことができます。
その豊かさが満ち溢れてきて、
子どもは、その豊かさを自分の中から減らしたい、と感じるようになる時が訪れます。
その時こそが、子どもの知性を育むような教育をしていいはずです。
知性の育みが早すぎると、
その子は後年、おのれのこころ・精神と、からだとの分離に苦しむようになります。
精神とこころだけなら自由に生きることができるのに、
だんだんと、自分のからだが重荷に感じられ、
やがては、からだを封じ込めるような、押し殺すような、生き方をせざるをえなくなります。
昼の時間に芸術的に活き活きと生きることで、
子どもは、初めて、夜の眠りの時間におのれの成長にふさわしいものをもたらし、
次の朝、フレッシュに目覚めることができます。
そんな眠りと目覚めのリズミカルな交代を、
わたしたち大人は、未来を生きる子どもたちひとりひとりに、
個人的にでも、組織的にでも、
なんらかのかたちでもたらせたら。
そう希って、この『普遍人間学』を熱く読んでいます。
●『普遍人間学を読む』クラス
日時:大阪市住吉区帝塚山 第二水曜 午後13時30分〜15時30分
和歌山県岩出市 第二土曜 午後13時00分〜15時00分
参加費: 毎回3,000円 6回連続15,000円
※ご参加される前に本のご購入をお願いいたします。
次のサイトでご購入いただけます。
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場所・お問い合わせ・お申込み:
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講師: 諏訪耕志 http://www.kotobanoie.net/profile.html
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